無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10726日

 11月11日9時20分発の高速バスに乗って岡山に着いたのは12時40分くらいだったな。地下街で昼食をとって、備前西市にある産婦人科病院まで電車で行こうと思っていたんだが、荷物もあるので駅前からタクシーに乗った。タクシーの運転士というのは昔と違って、最近はみんな常識的な人達ばかりだと思っていたんだが、この運転士にはちょっとびっくりしたな。クラクション鳴らしながら飛ばしまくるんだからな。年齢を確認しようとネームプレートをみたんだが、生年月日は書いてなかったな。あの運転では、客を乗せるプロドライバーとしては失格だろう。話してみれば普通の話し好きな老人で、降りる時にトランクから荷物も降ろしてくれたりして、まあ悪い人じゃないようなんだが、とにかく性格的に、車の運転にはに向いてないんだろうな。

 4時くらいになって、生まれそうだというんでカメラを持って分娩室の前で待機していると中から赤ちゃんの大きな泣き声が聞こえて来た。女房と顔を見合わせて、「産まれたな」と話したんだが、考えてみたらわしがこんなシーンに立ち会ったのは初めてだった。ドラマの中ではよく見かける定番のシーンだが、じつは3人の子供のときも、4人の孫のときも、わしは家にいたり職場にいたりして、このシーンの経験はなかったんだな。子供も含めて8人目にしてはじめの経験だったのでなんか嬉しかったな。

こうして5人目の孫は無事誕生した。