無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10705日

 わしが小学校1年生のときに、近所のK君と一緒に歩いていて、5円玉を拾った事があった。当時5円あれば駄菓子屋に行って、1回くじを引く事ができるんだが、わしら2人は落とし物だから警察に届けようという意見で一致した。何せ、わしらは当時流行っていた少年探偵団に凝っていて、2人とも漫画雑誌の付録にあった少年探偵手帳を持っていたからな。正義に憧れていたんだな。一番近くの交番まで歩いて5〜6分かかる。わしらは、雨上がりのぬかるんだ道をものともせず、交番に向かった。交番には2〜3人のおまわりさんがいた。わしらが5円拾ったので届けに来たことを告げると、1人のおまわりさんが「落とし物を届けにきたのは偉い。じゃがこの5円はその褒美として僕らにあげるよ。」というようなことを言って、しゃがんで握らせてくれた。わしらは5円くらいなら届けなくてもいいのかと妙に納得した覚えがある。その後は数十円拾う事は何回かあったが交番に届けようなんて思ったことは一度も無いな。そりゃ、いくら元少年探偵団でも、価値観と世の中の仕組みがわかってきたら、それくらいの額を警察に届けたりするわけないだろうな。

 ところが、わしがまだ島に居た頃で、21歳のとき、一万円落とした事があった。空手部の合宿費用として部員から集めた金をそっくり落としてしまったんだな。落とし た場所はだいたい想像がつくので、そのあたりを重点的に何回も探したんだが見つからなかった。これは親父に泣きついて、出してもらわんといかんなと観念し たんだが、ふと、ここで思い出したのが、例の5円玉を警察に届けた、正義感の固まりのような子供の頃の話だった。ひょっとしたら誰かが拾って駐在所に届け とるんじゃなかろうかな、と思ったわしは500mほど離れた、港近くにある駐在所に行ってみた。「届いてないな。」という返事を予想していたんだが、「何処で幾ら落とした?」と聞いて来た。「海岸の松林と学校の間の道だと思います。一万円です。」と答えると、にこっと笑って、「届いてるよ。」と言ってくれた。 子供が拾って届けてくれたそうだ。謝礼金も受け取らなかったあの子も、今では50代半ばになっているはずだ。立派な大人になっていることだろう。

 5円玉を警察に届けた記憶がなければ、あの時、わしは駐在所に行ってみようとは思わなかっただろう。やはり価値観とか、世の中の仕組みとかに左右されない、馬鹿正直な生き方も大切なんだろうな。