無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10703日

 昨日うちで一緒に飲んだO君というのは、S海運の元機関長で、わしと同期の卒業生なんだが、わしが三等機関士でやめてフラフラしたのと違い、二等機関士、一等機関士、機関長と一応上まで上り詰めて、卒業した時の目標は達成した、いわばそう言う意味では成功者になる。日本の海運界の縮小によって乗る船が無くなり、子会社で陸上勤務とかも経験したらしいが、40年間、わしが耐えられなかった海運業界でがんばってきた立派な男だ。

 O君とは席上過程終了前の半年間、学生寮で同室だったので、アルバムに載せる写真を撮るときも一緒だった。写真屋が各部屋を、一人一人写して回るんだが、わしは当時裏千家を習っていたので、ふくさを持ったところを撮ってもらった。O君はどうしよう、どうしようと、あわてて本棚から本を引っ張りだして来て、ベッドの上に座ってその本を読むポーズをしたんだな。O君はその当時から壁面に大きく日の丸の旗を掲げていて、ちょうどその大きな日の丸の旗をバックにして分厚い本を読んでいるO君の勇姿が写っているはずだ。

 O君が、お父さんの転勤で、わしのいる市に引っ越して来たのは18歳のときらしい。わしはその頃に2回ほど、市内の案内をかねて会ったことがあったが、卒業後は今年の9月まで43年間会った事が無かった。それでも会えばすぐに40数年前に還るんだから、若い時、一緒に4年半も寮生活をしたという経験はなんというか、濃いんだろうな。船乗りだった連中も定年で陸に上がってきたので、これから同期生にもいろいろ会う機会が増えて来ることは楽しみな事だ。こう考えると年をとる事も悪くはないな。

 11月3日、明治節所謂文化の日に、わしはO君に国旗日の丸を揚げとるかどうか聞いてみたんだな。若い時、わしよりも右にいたO君が、まさか揚げてないことはないだろうと思っていたんだが、そのまさかの揚げてないという返事だった。40年もたてば家族もできるし、ひょっとしたら、宗教関連のしがらみなんかがあるのかもしれんので、それ以上は聞かなかった。「大きな日の丸の旗をバックにして分厚い本を読んでいるO君の勇姿」のイメージがあっただけに、その時はちょっとびっくりしたんだが、きのう飲みながら話を聞いていると、考え方は40年前と何もかわっていないのに気が付いた。ただ、「保守系のブログもたくさんあるけどなあ、ちょっとなあ。」という言い方をしていたので、わしが余命三年時事日記をみるようにと紹介しといてやった。その後、夜の町に飲みに出たので、どうせ忘れているだろうと思っていたら、今朝起きたら「きのうのブログの名前を教えてくれ  日の丸男の子より 0130」というメッセージが入っていた。なんと名前が日の丸男の子になっていたぞ。