無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10701日

 戸田さん、児島さん、浅山さん、二神さん、馬越さん、上田さん、兼久さん、山本さん、山田さん、松原さん、吉田さん、森松君、古川君、河内君、栗栖君、片山君、坂東君、平山君、福島君、山本君、渡部君、もう1人渡部君、浜口君、兼久君、昭和33年4月にS小学校一年松組に入学した50人程の児童のなかで、即興で名前が浮かんでくる人達だ。半数近くを覚えているんだから、たいしたもんだと思うが、いかだだろうか。こうして見てみると、やっぱり何かわしと何らかの接点があるか、何か強い印象的なできごとがあった人が多いようだな。わしは3年生から転校したので、この人達とは2年間しか一緒にいなかったんだが、それでもこれだけ当時の顔と名前が一致するというのは、一緒に小学校に入学したというのは、それだけ人生における大きな出来事だったんだろうな。

戸田さんはあと10768日に書いたようにピアノの上手な人で、わしは赤のボールペンを貰ったことがあったな。

児島さんは近所の銀行の宿舎に住んでいた。カードをもらったことがあったな。

浅山さんは朝、授業の始まる前になぜかいつも泣いていたな。

二神さんはきれいな人で、中庭の朝礼台の近くで一緒に遊んだ事があったな。

馬越さんの家は大学の裏の集合住宅で、坂東君と一緒に遊びに行ったが、家にいなかったことがあたったな。

上田さんはハスキーな声で話すかわいい人気者だった。河内君のお母さんがミスユニバースみたいと言っていたな。

2人の兼久さん、兼久君は男女の双子でめずらしかったな。

山本さんは家が大きな農家で、なぜかしらんが中学3年のとき、わしが好きだったと話しとるという噂がたったことがあった。小学校2年から学校も違って会ったこともないのに、意味不明だったな。そういえば下敷きをもらったことがあったような気もする。彼女はそれをジキシタと呼んどったな。

山田さんもピアノが上手で、教室にあったオルガンを弾いていたな。

松原さんは2年生から転校して来た人で、かわいらしい人だった。坂東君と一緒に家に遊びに行ったことがあったな。わしが松原さんを好いとるといってからかわれたりしたこともあったが、実はわしはほんとうに好きで、あこがれていたんだな。

吉田さんは風呂屋の娘で時々番台に座っていたから、わしらガキどもはみんなスッポンポンを見られていたということだな。 

 みんな元気でいたら65歳のばばあになっとるんだが、どんな人生を送ったのか、幸せな人生だったらいいんだがな。

男の思い出話しは次回にしよう。