無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10694日

 今日は1日雨だったな。うちの前は今は住宅になっているが、わしが小学1年生までは田んぼで、雨の日に代掻きや田植えをよく見ていた記憶がある。ある雨の日に幼稚園から帰ると、前の田んぼで馬を使って代掻きをやっていたのを、今でもはっきり覚えているんだが、親に聞くとそれは知らんと言っていた。あれは幻だったのかな。田植えが終わったあと、夏前になると、よくホリドールを撒くので窓を閉めてくださいと農家の人が回ってきた。結構強力な農薬で、現在は販売禁止農薬のようだが、当時のお百姓さんは、タオルでマスクをしただけで散布していたんだから、健康にもよくなかったんだろうな。ホリドールを撒いた田んぼには確か赤い三角形の旗が掲げられ、入られませんとか何とか書いていたような気がする。これが川に流れ込んで、魚や、カエル、ザリガニ等水生生物がいなくなってしまった時期もあったな。

 また、わしらが肥たごと呼んでいた、野つぼがあちこちにあって、発酵する前の新鮮なものはこれは臭かった。田舎の香水とか呼んでいたな。わしらも気をつけるように言われていたが、子供が野つぼに落ちる事故は、全国的に毎年かなりの件数あったようだ。家から学校に行く途中だけでも4カ所あったんだが、そのうちの一カ所は、直径2mくらいの穴を掘っただけで、囲いも無くて、まるで、道端にある池のような感覚で、水の代わりに糞尿が溜まっているんだから、今では考えられない光景だな。

 わしはよく知らないんだが、昭和26年に今のところに引っ越して来た頃は、近所の農家の人が、肥料にするために、桶を持って来て糞尿を汲んでいったらしい。あとにちゃんと藁を敷いていってくれていたんで、非常に助かったとおふくろから話をきいたことがあった。汲取費用がかからなかったんだな。わしが覚えている大きな四角い木の桶を載せた、汲取のオート三輪はそのあとの世代のようだ。