無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10690日

 今日も1日が終わり、残された日がまた1日減った。昨日から自分の身の回りも整理しようと思い立ち、証券、FX、銀行などの口座を洗い出したんだが、いつ開いたか忘れてしまったようなのが出て来たのにはびっくりしたな。おそらく1回か2回は利用したんだろうが、その存在すら忘れていた。

 前にFXなんかにも手をだしたことがあったが、リーマンショックで、大きく為替が動いたり、平成の貧乏神ともいわれた白川日銀総裁の円高放置で、女房にも言ってないんだが、損失をだしてやめてしまった。しかしやめたのは損失を出したことだけが原因では無い。結局、証拠金取引を続けることは、少なくともわしにとっては、人生を無駄にすることではないかと気が付いたということかな。人生を無駄にするという意味はお金をなくすということではない。わしは損をしたが、勿論儲ける人もいるだろうし、うまくいって大きな富を築いた人もいるかもしれない。しかし、儲けても損しても頭の中は常に市場の動きに支配されている。しかも取引は24時間世界のどこかで行われているんだから心が休まることはない。しばらくポシションを持たなければいいんじゃないかと思うんだが、持たなければ持たないで、なぜか不安になり、また持ってしまう。すると、子供達と一緒に食事していても、夜中にふと目が覚めたときも、車を運転していても、風呂にはいっていても、本を読んでいても、常に市場が気になり、一度しかない人生が上の空になってしまっている自分に気が付いた。そして処分して二度とやらなかったんだが、空が晴れ渡ったような気がしたのを覚えている。そんなFXの口座も数社に残っていたので解約手続きをした。

 証券会社も未利用の2社を解約予定で、これで少しは身辺整理ができたかな。わしなんかにとっては、株の現物を買って、気長に何年でも楽しみに持っとくというのが一番性にあっている。わしが株式投資を始めたころに読んだ本に「株で絶対儲ける方法は、一度買ったらひとまず忘れる。1年に1度しか売買をしない」と書いてあったが、これは確かに名言だったな。