4月から毎日古事記神代巻を音読している。昨日で32回読み終えて、今日から33回目になるが、32回目から少し読み方を変えてみた。わしの読んでいるのは「朗読のための古訓古事記」という本で、解題によると昭和19年の幸田本を底本にして編集されているようだ。幸田本というのは本居宣長の没後2年経って刊行された「訂正古訓古事記」をもとにして、忠実に書き下しているらしい。たしか相曾誠治氏も幸田本を推奨していたようなので、これで問題ないだろうと思っている。
古訓だから当然現代仮名遣いとは違っている。問題はこれをどう読むかということだ。古事記ではないが、相曾誠治氏も「言霊と太陽信仰の神髄」のp19に以下のように書いている。「ダイジョウサイは日本語ではありません。元来、日本ではオホニアへマツリと呼んでいました。現在は新仮名遣いですからオオニアエマツリと表記しますが、本来のヤマト言葉であるオホ二アへマツリと漢字の大嘗祭を対比してみますと、ほんとうの意味がいかにわからなくなっているかが一目瞭然です。」
また、本来のヤマト言葉でなければ、言霊は理解できないとも書かれている。これらのことから考えてみると、耳で言霊を感じるためには、古事記もやはりヤマト言葉で読まなければ意味が無いのではなかろうか。わしはそう考えて、32回目から、古訓に書かれてある字のとおりに発音する読み方に変えてみた。それで一度読んでみたが、今までとは少し感じが違っているような気がした。今まで何気なく現代仮名遣いで読んでいたが、これからはこの方法で100回まで、あと68回試してみる事に決めた。どんな結果になるか楽しみだな。