無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10683日

 最近女房の仕事がないので、わしも朝起きるのが遅くなってきた。今日も9時起床で、すでに日は高かったな。うちは南側に車1台分置けるくらいの広さの庭があり、梅やツバキが植えられている。これは親父が趣味でやっていたもので、最盛期にはツバキだけで40〜50鉢くらいが、屋根の上に特設されたベランダに並んでいたんだが、今の2所帯住宅に建て替える時に、気に入った物だけ10鉢くらいを残して、ほとんどを処分してしまった。親父が死んだ時にそれらが残されたということだ。

 おふくろが2005年に死んで、それから10年程は手入れもあまりやらなくなった。鉢植えは毎年植え替えをしなければならないが、それもやらなかったので、勢いは衰えていたが、まだ生きていた。親父を説得して施設にはいってもらったときに、庭の事は頼むと言われたが、自分が10年もほったらかしにしておいて、いまさら頼むと言われてもなと、ちょっとかちんときたことがあった。

 その後女房と相談して、全くやらないというわけにもいかんので、とにかく鉢植えはやめて、全部地植えにしようということになり、弱っているのは捨てて、庭のあいたスペースに、元気な6本程を植え替えた。そのうち一本は弱ってしまったが、残りは元気に奇麗な花を咲かせている。聞くところによると、ちょっと変った種類のツバキらしい。

 ツバキに関してはそれで解決したんだが、問題は紅白の梅の木なんだな。親父が死んだ時、枝はのび放題で、とても梅の木だとは思えないくらいになっていた。親父が施設に入る時に、梅は、わしが切ってはいかん、業者に頼めといわれと言われていんだが、金もかかることだし、そうもいかんので、親父には黙ってわしが適当に切っていた。2階迄伸びている、太く成長した枝を切るのは大変で、切るよりも伸びるほうが早くてなかなか進まなかった。そうこうしているうちに親父も亡くなり、わしも今年の5月に仕事もやめたので、一大決心をして、とにかく切りまくろうと、近所の庭にある、きれいに剪定された梅の木を参考にして、のこぎりでばったばったと切り落として行った。通りかかりの近所のじいさんにも「もっと切らんといかんぞ。」とハッパをかけられたりしたおかげで、この時に半分くらいは片付いた。

 今朝、庭に面した掃き出しをあけて、掃除をした時に、梅の枝に小さなつぼみのようなものが見えた。それを見た時に、天気もいいし、そんなに寒くもいないし、剪定の続きをすませて、けりをつけようと思い立ち、急遽雑巾がけは中止して作業にとりかかった。今回も、とにかく切ろうということで、太い枝細い枝、とにかく捩じれたものや、細かく枝分かれしたものや、上に伸びすぎたもの、下向いたもの、すべて事務的に切っていった結果、もとの太い枝だけになって、すっきりしたといえばすっきりしたんだが、これでいいんかなとちょっと心配にもなってきた。

 まあ、いずれにしても、来年の2月になればわかることで、果報は寝て待てという心境で、花が咲くのを待つしかないな。