無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10676日

 平成29年になった。去年の4月に、生活のために働くということから、43年ぶりに解放され、自由になることができた。そしてさらなる自由の高みを目指して、それ以来9ヶ月で、65年間たまった様々なしがらみのもつれをとき解していって、解れたものから忘れていくように心がけてきたつもりだ。だが、ことはそう簡単にはいかないこともわかってきた。65年の歴史に裏打ちされた人生絵巻は、忘れるにしてはある面、面白すぎるし、またある面では怖すぎるし、様々な面をもってわしの前に現れて来る。実に興味深い。そこで、忘れることはできなくても、せめて一時邪魔されないようにしたいものだと考えているんだが、これはこれからの課題だな。

 わしにとっては大晦日元旦といっても、あと10676日の時間の流れのなかに置かれた道標の1つにすぎないが、久し振りに家族みんなが揃うので、そう言う意味では1つの区切りにはなる。何も考えずに、3日間は楽しく遊ぶことにしよう。