無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10673日

 国旗掲揚。午前中に、長男二男家族が、それぞれの家に帰ったので静かになった。ほんと、孫は来て嬉しい帰って嬉しいとよくいわれるが、そのとおりだな。来年の正月には、去年産まれた2人が1歳半になっているから、この2人も加わって、5人で大暴れするんだろうな。子供等は明日から仕事が始まるが、わしは何も変わらない普段通りの生活が続くだけだ。今年もなるべく波風がたたないような、心穏やかな一年であってほしいもんんだな。

 昨日の夕食時にわしの兄貴とwhatsappのビデオ通話で話したんだが、これは便利なもんだ。2年前に、二男のハワイでの結婚式にみんなで行ったときに、レッスン付きゴルフというのをやった。わしらはみんな、ゴルフは初めてではなかったが、ちょっと打ちっぱなしに行ったことがあるくらいで、限りなく初心者に近い存在だったので、ちょうどいいレベルだった。兄貴はそれがたいへん気に入ったようで、日本に帰ってから俄然ゴルフに熱をあげて最近やっと100を切ったと話していた。

 わしは腰が痛いし金もないので、持っていたゴルフクラブや一度も履いた事の無いゴルフシューズを二男にやろうかと話していたんだが、兄貴が100を切ったという話を聞いて、ちょっと考えたな。ハワイで見たときはわしとどっこいどっこいだったんだが、そうか100を切ったかと、対抗心がむくむくとわき上がってくるのを感じざるを得なかったんだな。対抗心というのも生きるための道具のひとつで、旨く使えば良い方向に向かうんだろうが、65のじじいが67のじじいに、ヘタクソなゴルフで対抗心を燃やすというのも、煩悩全開で困ったもんだ。

 ゴルフというのは年齢が関係ないので、幾つになっても子供と一緒に遊ぶ事ができるという利点がある。子供等がやっているフットサルなんていうのはとても一緒にはやれないからな。長男も再開するので、わしも2年近くやってないんだが、少し打ちっぱなしに行って練習しとくのもいいかもしれんな。