無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10672日

 午後から出雲大社の分祠と産土神社に初詣に行って来た。暖かくて少し歩くと汗ばんできたな。うちの家は、一番最初に建てた家も、今住んでいる家も出雲大社地鎮祭をしてもらったので、出雲屋敷ということになる。それ以来初詣は出雲大社の分祠と、子供等が産まれた病院の建っている地区を管轄する、産土神社へ行くようになった。うちの子供等は、3人とも近所の同じ病院で出産したのでわかるんだが、長女長男の子供等は、少し離れた場所で産まれたので、どこの神社がそれにあたるのか、正確には知らない。11月に岡山で産まれた二男の子供は、病院の住所からだいたいの目星をつけて、11月に北陸の白山ひめ神社と気比神宮参拝の帰りに寄ってお参りして来たが、やっぱりそれが本当に正しいのかどうか気になるので、昨日もネットでいろいろ調べてみた。その結果わかったんだが、どうやら各県の神社庁に住所を言えば、その地区の産土神社をすぐに教えてくれるらしい。これは早急に全員のを確認しておかんといかんな。

 夕べから女房が熱をだして寝ているので、初詣の帰りに近所のサークルKに寄ってアイスクリームを買ったんだが、アルバイトの店員が外国人だった。期間限定の楽天ポイントが700ポイントほどあったので、それを使って支払いをしたいと伝えたら、わかったのか、わからなかったのか、日本語はまだあまり上手ではないようなので、大丈夫かなと思いながらみていたら、「確認を押して。」と言われた。モニターを見るとこれでよければ確認を押してくださいという画面があったので、ポイントを確認して、それを押して終了だった。どうやら心配する必要はなかったようだ。

 今はコンビにみたいに正月も休み無しで営業している店があるので、買い置きしておかなくても、食べるものに困ることはないが、わしが昭和51年の正月を東京の三畳一間のアパートで過ごしたときは、完璧に全部の店がしまっていて、ほんとに3日間食べるものがなかった。腹を減らして寝ていたら、下のおばさんが気の毒がってご飯を持って来てくれたことがあったんだが、これで生き返った心地がしたな。となりの部屋にいた、日大航空宇宙工学で、人力飛行機パイロットやっていた人が、帰省する時に小さなテレビを貸してくれていたので、そのテレビで映画「二十四の瞳」を見ながら食べた飯の味は忘れられない。

 「二十四の瞳」は昭和34年、わしが小学2年の時、1学年全員(約350人)がぞろぞろと、学校から映画館まで歩いて見に行った事があるが、最初のナレーションを今でも覚えている。「十年を一昔というならば、これは二昔も前のお話です。」たしかこんな感じだった。昭和51年正月に見たのが2回目だった。その時は昭和34年が随分昔のように感じたが、その間たった16年だったんだな。

 月日は流れて、それから既に41年たったが、昭和51年がついこの間のように感じてしまうのは、どうしたことなんだろう。時間の流れ方が違うのかな。