無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10657日

 先日、産經新聞NetViewをみていたら、一面大きく阿含宗の故桐山氏のことが出ていたので、これは広告だろうと思って紙面の隅っこのほうを確認すると、やっぱり広告だった。他の新聞にも出していたのかどうかは、他の新聞を読んでないのでわからないが、産經新聞とはいえ、1面全体に広告をいれるとかなりな金額になるんだろうな。それでも新聞の場合は、ちゃんと広告という文字が入っているので、読者が記事と間違える事はないが、テレビなんかはどこまでが、宣伝でどこまでが番組なのかよくわからん事が多い。いわゆるステマというやつだな。わしはテレビは全く信用してないし、つまらんのでほとんど見なくなったが、女房は毎日見ている。以前は女房がテレビをつけっぱなしにしていたらその度に切っていたんだが、わしが勝手にテレビを切ると言って怒るので、最近はそれはやめにして、一応断ってから切るようにしている。

 産經新聞の広告には、桐山氏の紹介や、教団の紹介とともに、戦没者の慰霊を行ってきたことが書かれてあった。船上から慰霊している写真があったが、おそらく船はチャーターしたものだろう。太平洋にちらばる戦場を何回にもわたって船で回ったようだ。靖国神社の昇殿参拝したときの写真もあった。これだけのことをやるには莫大な金がかかっているはずだが、宗教者として、死ぬ前にやらずにはおれない何かがあったんあろうかな。そこらあたりはよくわからんが、大正10年生まれだとすると終戦時25歳くらいで、同級生や先輩後輩の多くが戦死した世代だから、思うところがあったんだろう。若いときは生きるのに精一杯で忘れていても、年をとるに連れていろいろ、嫌な事や忘れたい事が思い出されて来るものだということは、わしも実感している。桐山氏はわしなんかよりもっと強烈な体験をしたんだろうし、また宗教者であるからこそ、幸運にもあの時代を生き残った者が、死んだ人に感謝することをわすれ、そして戦後の民主主義とやらが体現した今の社会に対して、忸怩たる思いがわき上がっていたのかもしれんな。