無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10656日

 今日は時々みぞれの降る寒い1日だった。わしは家から出ないのであまり実感がないが、暴風雪波浪警報もでているようで、強い風で窓ががたがた鳴っていたな。こんな日は、小太郎花子もソファに1日寝ているだけで、小学校の時、三好先生のオルガンにあわせてみんなで歌った「雪」に出て来る犬とは大違いだ。

雪やこんこ 霰やこんこ

降っては降ってはずんずん積もる 山も野原もわたぼうしかぶり

枯れ木残らず花が咲く

 

雪やこんこ 霰やこんこ

降っても降ってもまだ降り止まぬ 犬はよろこび庭駆け回り

猫はこたつでまるくなる

 

 今の音楽教科書にどんな曲があるのか知らないが、むかしの唱歌はほんとうに良い歌が多い。「おうま」「春の小川」「めだかの学校」なんか、裸電球しかなかったので、雨の日なんかは薄暗い教室だったが、みんなが大声で歌っていた光景を今でもはっきり覚えている。さすがに馬はいなかったが、春の小川やめだかの学校なんていう歌は、わし等の世代では日常の光景だった。この頃はわしも音楽の授業は楽しみだったんだが、高学年になるとだめだったな。

 わしらの時代は高校入試が9教科だったので、音楽の筆記試験まであったんだからたまらんわな。作曲だ移調だ転調だと理屈を教えられても、さっぱりわからない。しかし、鍵盤を知っていればそんなこと一目瞭然で、今から思えば、無駄な努力をしたものだ。そんな理屈が本当に必要なものなら、言葉で教えるのではなく、初めからみんなにピアノを教えるのが一番の早道だろうに。

 そもそも音楽は楽しむためにあるもので、聴くのも歌うのも楽器を演奏するのも、やりたい者がやりたいことを楽しんでやればいいだけじゃないのかな。わしもむずかしい楽譜は読めなくても、歌をうたえば十分楽しいから、それで満足だな。

 三好先生は家が近所だったので、うちの両親とは町内会などで会う事もあったようだが、亡くなるまでわしのことを教え子だと言って覚えていてくれたそうだ。穏やかで、やさしく公平な、すばらしい先生だったな。