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無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10655日

 わしがノモンハン事件を知ったのは、やはり月刊の少年漫画雑誌だった。たぶんあの頃近所にあった、みふえという貸本屋で借りたんだろう。ソ連のイ16戦闘機が燃えながら落ちて行く小松崎茂の絵が巻頭にあった。わしはその時はノモンハンをノモハンと間違えて読んでしまい、その後中学くらいまでノモハン事件と言っていたな。たぶんわしはその絵を見ただけで、文章は読んでないんだろうと思う。

 ノモンハン事件がどのようなものか、その概略を知ったのはずっと大きくなってからだが、あまり話題にはならなかったとはいえ、戦後ずっとノモンハンでは日本軍はソ連軍にぼろ負けしたんだという話が一般的に信じられてきた。機械化したソ連軍に三八銃や日本刀突撃を繰り返しても通用しなかったとか、近代化が遅れた精神主義の陸軍と最新鋭のソ連軍とかいういような一方的な論調だったような気がするな。

 わしが20歳代の頃だとおもうんだが、週刊誌でノモンハン事件が連載されたことがあった。内容はよく覚えてはいないが、これなら負けて当然というような感じだったのは覚えている。その後30代の頃に五味川純平ノモンハンを読んだが、今なら五味川純平といえば左翼の作家と知っているから、読むだけ時間の無駄だとわかるが、当時はわしでも左巻きに結構毒されていたんだな、上下巻とも熱心に読んでしまった。そして、これでは日本軍が勝てるわけないと確信したな。

 しかし当時から、ノモンハンでは負けていないと主張する人達がいたのも事実で、わしは偶然古本屋で小沢親光著「ノモンハン戦記」という本を見つけて読んでみると、人員物資を蓄積して、さあこれからというときに突然休戦が成立したというようなことが書かれてあった。五味川読者にとってはとんでも本になるんだろう。わしはなんとなく納得できたが、それ以上調べる事はしなかった。その頃はバブルに乗って、金が儲かって楽しければ、過去の歴史なんかどうでもいいという世間の風潮に、わしも少し流されていたのかもしれんな。

 1991年のソ連崩壊で左翼が崩壊し、さらに数年後にはインターネットが使えるようになり、歴史の真実が急速に広まってきた。ノモンハンに関してはソ連側の情報が出てくるようになり、実は損害はソ連のほうがはるかに大きかったということ、それにソ連は早く終わらせたがっていたということもわかってきた。それでは今まで、弱いくせに馬鹿な国境争いをおこして、逆にこてんぱんにやられたという情報はいったい誰が何の目的で流して、国民を洗脳していたんだろうな。そうすることによって誰にどんな得があるんだろうかな。無知とは怖いものだとつくづく思うんだが、そういう意味でノモンハン事件というのはわしにとっては人生の1つの教訓になっているともいえる。

 こんなことが全部わかったあとで何年か前に半藤一利ノモンハンの夏というのを読んだが、まだやっているのかと馬鹿馬鹿しくて、途中で読むのをやめたことがあった。

 小沢親光著「ノモンハン戦記」151Pに次のような一文がある。

ノモンハン戦研究家でライシャワー門下のロジャーFハケット教授は「わが生涯で最も苦しい戦いはノモンハンでの日本軍との戦いであった」と述べた、ジューコフ元帥の述懐を伝えて来ている。』

読んだ頃は信じられなかったが、今では常識となったな。

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