無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10654日

 古事記神代巻を読み始めて10ヶ月たった。今読んでいるのが37回目だ。35回から読み方を変えて、書いてあるとおり読むようにしているが、言霊を耳で感じるというのはどういう体験なのか、今のところさっぱりわからない。はたして生きている間にわかる日がくるのだろうか。わしにとっては、「正しい言霊の教材はありますでしょうか?」という質問に答えた、相曾誠治氏の以下のことばを信ずるしかない。

 「日本語は世界中の言葉の中でも五つの母音が非常にはっきりしている言語です。あいうえおの五母音をしっかり明瞭に発音する事が一番の教材です。それには古い言葉で書かれた『古事記』の神代巻を声に出して何回も読む事です。それから『異境備忘録』を繰り返し読んでください。二、三回ではとうてい理解できない高度な内容です。頭が痛くなるまで何回も吟味しますと、霊感といいますか、感じてくるものがあるはずです。印刷された文字に文魂が含まれているからです。ちょっとしたひらめきでもだんだん重なってきますと、一つの立派な霊的見解が身に付きます。」

 今はとにかく1ページでも2ページでも、毎日古事記神代巻を読むようにしている。簡単なことのようだが、この作業はなぜか非常に疲れる。この作業を始める前は、10ページでも20ページでも、読むだけなら読めるだろうとわしも思っていたが、そうはいかないことがよくわかった。わし自身がまだまだ読めるレベルに達していないだけなんだろうが、それならレベルに達するまで、とにかく読み続けるだけだ。

 現在古事記と並行して『言霊と太陽信仰の神髄』を始めから読み返している。今のわしにとって道しるべとなるものは、相曾誠治氏の『サニワと大祓詞の神髄』『言霊と太陽信仰の神髄』の2冊しかない。いくら望んでも直接指導を受ける事はできないので、自分なりに試行錯誤しながら、できることを淡々とやっていくしかない。

 このブログにも、今までにも何回も同じようなことを書いたことがあるが、これは自分で自分のネジを巻くためでもある。ほうっておくとネジは緩んで来るものだ。