無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10638日

 わしが小学校3年の時に、うちでジュウシマツを飼うことになった。わしら兄弟がどうしても飼いたいといって、しつこく親に頼んだ結果、2羽のつがいを飼う事になり、ある土曜日の午後、親父と兄貴が自転車で店まで買いに行く事になった。店はだいぶ前に無くなったが、うちから1キロちょっと離れたところにあり、今は家が建て込んでいるが、当時は道路沿いの田んぼの中にぽつんと建っていた。わしも一緒に行きたかったが、連れて行ってもらえなかったので、しかたなく近所の同級生のF君とふたりで、うちの近くを流れる川の岸に座って、自転車の走って行った方角を眺めながら、帰ってくるのを待っていた。F君の家ではすでにジュウシマツを飼っていたので、わしらが飼いたいと言い出したのも、おそらくそのF君の影響だったんだろう。

 飼うにあたって、鳥かごが必要になるが、これは梱包材の切れ端と金網を使って親父が器用に作り上げた。親父はなかなか器用で、アイロン台なんかも、売り物と変らないような立派な物を作った事もあった。去年遺品整理をした時に、押し入れの奥のほうから、ボロボロになったこのアイロン台が出て来て驚いたが、底の部分には丁寧に墨で、昭和三十四年○月○日と作製日が書かれてあった。わしは夏の暑い日の夕方、完成したアイロン台を、親父が自慢しながら、わしらの前で墨を摺って日付を書き込んだのをはっきり覚えていたので、これは懐かしかったな。親父も30代後半でまだ若かった。

 親父と兄貴が何かの箱に入れて持って帰ったジュウシマツは、繁殖力旺盛で、最初の産卵で7つか8つ卵を産んで全部がふ化した。藁で出来た巣の中はヒナであふれ、20cmくらいの止まり木に全部が止まっている光景は圧巻だったな。少し大きくなると、人にあげるので、1羽1羽と減って行くのが寂しかったが、それでも先にふ化したものは大きく立派になり、早く貰われていった。しかし、体が小さく、目の周りがつつかれたように傷ついて、弱々しいのは最後どうだったかはっきり覚えてないが、たぶん貰われて行く事無く、死んだような気がする。

 その後、ジュウシマツがいつまでうちにいたか、定かではないが、5年生になって、犬を飼い始めた時にはすでにいなかったから、飼ったのは正味1年間くらいではなかっただろうか。初めはわしらが面白がって世話をしているが、すぐ飽きて来て、最終的に世話をするのはおふくろの役目になってしまうのは、いつものことだった。飼い始めたときのことははっきり覚えているのに、飼うのをやめたときの状況は全く覚えていないし、最初の2羽がどうなったかも覚えていない。とにかく、ジュウシマツはうちで飼った生き物のなかでは、いたって影の薄い存在ではあったな。