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無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10631日

 昭和45年の万博をわしは2回見に行く事ができた。1回目は始まってすぐの5月か6月に、学校の練習船の航海実習で、当時の神戸商船大学の桟橋に船をつけて、そこからバスで万博会場まで行った。学内に陸上帆船として宿泊施設になっていた進徳丸で1泊して、翌朝バスで万博会場まで行ったように記憶している。朝早く、K君が大声でみんなを起こして回っていたのを懐かしく思い出されるが、そのK君は若くして病気で亡くなった。

 船が神戸港のあたりにさしかかったときに、商船三井の貨物船とすれ違ったんだが、そのときブリッジから、誰かが手を振っているのに気が付いた。よく見ると学生服を着ているからアップさんだろうとは思ったが、いったい誰だろうと、よく目を凝らしてみると、なんと社船実習中の、わしの中学校の先輩のSさんだった。通称アップさんとはアプレンティスオフィサー、アプレンティスエンジニアのことで、昔は卒業までに半年間、会社の船で見習い航海士、機関士として乗船実習をしていた。半年後に学校に帰って来たSさんが、わしを下宿に呼んで、酒を飲ましてくれたとき、その話をすると、あれに乗っていたのはおまえらだったのかと驚いていたな。

 万博会場は、この時期にはまだ、そんなに混んでなかったので、月の石を展示していたアメリカ館もほとんど並ばずに見る事が出来た。主だったパビリオンを全部見て、ダイダラザウルスにも乗ってしまうと、もうこれといってやる事が無い。そこでわしら4〜5人は、夕方まで時間があるので、抜け出して大阪まで遊びに行こうということになった。中にどうしてもストリップを見たいという奴がいたんだな。

 駅でスポーツ新聞を買って、電車の中で調べたところ、ここがいいだろうということになったのが、今は無いが、ダイコーミュージックという地下鉄中央線沿線にあったストリップ劇場だった。全員制服制帽だから珍しかったんだろう、入り口で何処からきたのとか、いろいろ話しかけてこられたな。たしか中は丸い、低い舞台が真ん中にあり、周囲にそれを取り囲むように椅子が設置されていた。客も少なく、ショー自体は穏やかなものだったが、踊り子さんが絵の具を持ってきて、わしらにボディペインティングをさせてくれてのには驚いたな。これにはストリップを見たいと言っていたM君も満足したようで、わしらはまた電車に乗って万博会場に向かった。

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