無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10620日

赤い靴はいていた女の子 異人さんに連れられて行っちゃった。

横浜の港から船に乗って 異人さんに連れられて行っちゃった。

野口雨情のこの歌だったと思うんだが、うちに絵本があって、わしがそれを見ていたシーンを覚えている。幼稚園の頃だろう、昼間寝ていたので風邪でもひいて休んでいたのかもしれない。枕元にあった本には正面から見た、大きな客船が描かれていた。その絵の中に、赤い靴を履いた女の子がいたかどうか、はっきり覚えてないが、あと10812日で書いた『おうちわすれて』が出ていたのと、同じ本ではないかと思う。

 その時にわしも同じように正面から見た船を描こうと思って描いてみたが、何度描いても旨くかけなかった。遠近法がわからなかったんだろう。結局絵本の上に紙を置いて写し取ったが、出来上がった自分の絵を見て、同じように描けているので非常に驚いた記憶がある。こう書けば、写したんだから当たり前だろうと思うかもしれないが、そうではない。遠くを小さく書けばいいんだということに気が付いて驚いた。即ち遠近法というものをわずかながらも理解した瞬間だったと今でも信じている

 わしが幼稚園の頃の、冬の夕刻だと思うが、おふくろがわしら兄弟を本屋に連れて行ってくれたことがあった。通常わしらは繁華街に行く事を「まちに行く」と言っていたが、おふくろが「まちに行くよ。」と言って連れて行ってくれたのが、当時市内で一番大きかったH書店だった。兄貴はすぐに『日本史の光』という本に決まったが、わしはいつも通り、なかなか決められなかった。ほんとうは『アラジンと40人の盗賊』という絵本が欲しかったんだが、おふくろに、同じところに並んで売られていた『白菊物語』を薦められた。迷った挙句、おふくろの言う通り『白菊物語』を買って帰ったが、あまりうれしくなかった。

 昔の子供は文字を覚えるのも遅かったんだろう。自分ではうまく読めなかったから、家に帰っておふくろに読んでもらった。なんか悲しい話だったが、その後、何回も自分で読み返していたのを覚えているから、結局、面白かったんだろうな。兄貴が買ってもらった『日本史の光』も小学生になってから読んだが、血湧き肉踊ったな。乃木大将の水師営の会見の場面等、何回も読み返して、今でも挿絵付きで覚えている。

 これらの本も昭和43年に家を改築するまではあったはずなんだが、子供等に読ませようと思ってさがしたが見つからなかった。うちの親は、余裕もなかったんだろうが、あまり本は買ってくれなかった。しかし、たまに買ってくれた本は、良い本だった。