無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10614日

 今年も3月3日がやってきた。昭和18年3月3日ひな祭りの日、ニューブリテン島ニューギニアの間にあるダンピール海峡で、ラエに向かっていた第51師団約7千名の将兵を乗せた8隻の輸送船がすべて沈められた。さらに護衛にあたっていた木村昌福少将の第3水雷戦隊の駆逐艦も4隻撃沈され、作戦は失敗した。低速の輸送船団を2昼夜、敵の哨戒圏内に置くという無謀な作戦だが、アメリカ軍は、戦いが終わって救助活動をしていた駆逐艦や大発や、海に浮かんでいる人にまで機銃掃射を繰り返したと言われている。日本が勝っていれば、実行者は戦争犯罪類型B項戦犯だろうな。

 親父と同じ村出身のYさんという人がダンピールで戦死している。わしは墓石に刻まれてある経歴を読んで、そのことを知った。何かの時に親父にその話をしたら、親父はそのYさんと、朝鮮の元山で偶然に出会ったときの話をしてくれた。『ある日町を歩いていると、向こうから海軍の水兵が3人こちらに歩いて来た。そして普通にすれ違ったんだが、突然後ろから、○○さんと、親父を呼ぶ声が聞こえた。振り向くとさっきの3人の水兵の1人がこちらにやって来た。それがYさんだった。Yさんは嬉しそうに、「もうすぐ帽子に縁がつくんよ。」と話していた。帽子に縁が着く、つまり下士官になれるということだ。その場で話しただけですぐに別れたが、下士官になってラバウルに行ったんだろう。その後二度と会う事はなかった。』これだけの話なんだが、戦死したYさんと聞いただけで、すぐにこの話を思い出すということは、人の命が普通に失われていた時代だからこそ、本当に一期一会という気持ちだったんだろうな。

 おそらくYさんも同郷の親父に、自分が下士官になるということを話す事ができて、嬉しかったんだろう。晴れがましいことは、少しでも自分を知ってくれている人に話して、一緒に喜んでほしいのが人情だろうな。