無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10613日

 夕方、長男一家が来て、うちで夕飯を食べたんだが、その時に女房が、わしが仕事をやめた去年の4月以降、急に老けたと言い出した。仕事もしないで家に籠っているから年をとるのも早くなるという理屈なんだが、そういわれてみると、あてはまる事も多々ある様な気がして来た。一番わかるのが髪の毛のボリュームなんだが、確かに去年の3月と今とでは違うし、写真を見ても60歳と64歳ではあまり変らないが、64歳と65歳ではやはり歳取ったかなと思えるくらい変化がある。

 わしの場合、外見と実際の歳との乖離は年代によって違うようで、18歳位までは歳より幼く見られていた。この年代では幼く見られて得する事は何も無かったな。カツアゲされそうになったり、つまらん因縁つけられたりいろいろあった。だいいち、成人映画やストリップもうかうか入れない。老け顔の奴が羨ましかった。わしはいつ年齢を聞かれてもいいように、兄貴の生年月日を暗記していた。映画館の入り口で、もぎりのおばさんにじろっと見られると、いつもどきどきしたもんだ。

 最初に見に行ったエロ映画は16歳に時にD劇で見た『裸の誘惑』というアルゼンチンの映画だった。イザベルサルリというバスト120の女性がでていたが、これは強烈だったな。これを皮切りに、以後は映画を見に行くと言えばエロ映画だったが、18歳までに、入り口で年齢を聞かれたのはR座で1回あっただけだった。シミュレーションどおり、すらすらと兄貴の生年月日を答えて事なきを得た。

 そんな苦労も18歳までで、それ以後22歳位までは歳より老けてみられるようになった。これは結構役に立つもので、空手で黒帯をとったりして硬派を気取っていたのもあったんだろうが、町で因縁つけられることは無くなった。そして、その後24歳位から64歳までずっと歳より若く見られてきた。それがとうとう65歳で歳相応に見られるようになったのかもしれんな。べつに外見が何歳に見られようとかまわんのだが、体の衰えというのは、これはしんどい。若い頃は年寄りがあそこが痛い、ここが痛いというのを笑っていたが、これは笑い事じゃない。みんな体験して初めてわかることだろうな。

 3日前に、ぶら下がり健康器で、試しに片手懸垂10秒やってみた。右手はなんとかできたんだが、翌日から右肋骨が痛くなった。動く度に痛むので、ひびが入ったのかもしれんな。女房には、馬鹿みたいにそんなことするからよと笑われて散々だったが、骨も脆くなったもんだ。暫くぶら下がり健康器もお休みだな。