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無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10605日

 わしが船乗りになったころだった。機関制御室で何人かで話しているときに、売春防止法の話になったことがあった。この時昭和48年だから法律制定から17年後、年配の操機手が「○○の止まったばあさん達が集まって、つまらんものを作りやがった。」と言っていた。○○のとまったという言い方も面白かったんだが、これがほんとうにつまらんもので、法律ができようができまいが、港町どこに行っても需要があるところには必ず供給があった。必要悪だとわかっていても、今風に言えばポリコレ棒でたたかれるので、表立って誰も反対はできなかったんだろう。船乗り生活2年程の間にも様々な勉強をさせてもらった。

 あれは福島県小名浜に入港したときだった。上司のH一等機関士が、わしを港近くの割烹旅館に連れて行ってくれた。わしはそこで酒を飲んで飯を食って、船に帰るものと思っていたんだが、H氏はそこで酌婦を呼んでくれと言い出した。そしてわしに言った。「どんなのが来るかわからんが、もし気に入ったら一晩泊まっていっていいぞ。明日の仕事は昼からでいいいから。」わしはT風呂なんかは知っていたが、こんな田舎の寂れた割烹旅館で酌婦を呼び、酌婦が売春をするということは俄には信じられなかった。

 20分程してちょっと小太りの、あまり奇麗ともいえない、40前後と思える和服の女性が入って来て、H氏といろいろ話を始めた。今日は駄目とかいいながら条件を提示しているようにも聞こえるし、微妙な言い回しだったが、H氏は慣れたもので楽しそうに話をしていた。それが交渉だったんだろう、1時間程してそろそろ出ようかという時になって、H氏は支払いをした後、一晩泊まってこいと、その分厚い財布をまるごとわしに手渡してくれた。これにはわしもびっくりした。当時わしは22歳で元気はあったが、さすがにちょっと勘弁してほしかった。御礼をいって財布は返して、一緒に船まで帰る途中、「○○君でも、あれは無理だったか。」と笑っていた。案外わしの反応を見て楽しんでいたのかもしれんな。H氏も御健在なら80歳位になっているはずだ。

 こんな経験をしながら、貨物船であちこち航海して回っていたんだから、今から思えば、わしも短い期間ではあるが、外国航路の船乗りとして、古き良き時代を経験したといえるのかな。

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