無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10592日

 わしが利用した最初のパソコンはMacIIciだった。勿論業務用で、100万円もするものを個人で買えるわけがない。今から考えてもめちゃくちゃ高かったな。ついでに、これにMac-WORDを入れて文書作成も始めたが、キーボードから解放されて快適だった。それまではPC98が幅をきかせていて、一太郎とかいうワープロが使える人にお願いして作ってもらっていたんだが、そんなテクニックはあっという間に陳腐化してしまった。Macの出現というのはほんとうに革命的だった。

 そのうちにインターネットが繫がるようになってパソコンの使用頻度も格段に高くなった。初期の頃は、世界中探しても個人のホームページなんかもほとんど無くて、大学や研究機関がメインだったからあまり面白くはなかった。しかしネット上に悪意を持った人間が少なかったんだろう、個人の名前や写真、メールアドレスがどこにでも出ていたし、メールを出したら結構返事が返って来ていた。思えば牧歌的な時代だったな。

 この間友人と話したんだが、今のネット社会であればわしも船乗りをやめなかったかもしれんな。パソコンやタブレットがあれば、様々な種類の本を図書館並みに詰め込めるし、ゲームも出来るし、金はかかるが外洋でも衛星を使ってネット利用ができるらしい。簡単なプログラムを作るのも面白いし、ゲームもやれる。昔のように、交代の人が持ってくる月遅れの週刊誌や、名ばかりの図書室しか無い船内で、十年一日の如く、麻雀をやって半年以上過ごすという特殊能力はわしには無かった。

 わしは船乗りになる前は、外国航路の船乗りと言えば、世界を見ているので視野も広いというイメージがあったが、自分がなってみると全くイメージが正反対だと気が付いた。去年あたりから、外国航路に長年乗り続けた同級生と話す機会が増えたが、個人差はあるんだろうが、ほぼ100%業界の話ばかりだ。わしは多少ともその業界に関わったから付き合えるが、知らない人は付き合えんだろうなと思った。べつにそれが悪いという事ではなく、仲間内ではそれが楽しい会話になるんだろう。

 そういえば2年前、クラス会で話しをした人は、ほぼ全員ガラケーだったのには驚いた。やっぱりわしみたいに、すぐに新しいものに飛びつくという性格の者には、あの業界は向いてなかったことは間違いないだろう。