無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10588日

 二男が転職を考えているそうなので、最近わしもネット上でいろいろ求人を見ているんだが、中途採用でも、経験不問とか年齢も30歳くらいまで大丈夫なのもあるようで、以前に比べたら随分増えたような気がする。わしはハローワークに行く度に、自分の年齢ではなく、二男の年齢をいれて探している。検索にかかるのは多いが、あまり薦められるようなのはない。やはり都会に行かないと良い仕事はみつからない、というのはわし等の時代と変らんようだ。

 ネットを見ていて気が付くのが、特殊溶接とか鍛造とか、様々なもの作りの技術の継承者を募集していることだ。それらはほとんどが社員数十名の中小企業で、売り上げもそんなに多くはないだろうが、機械で代用できない、日本のもの作りの基幹部分を担って来た人達或は会社だったんだろう。以前はこのような会社の求人は、地域の職安で探すしかなかったが、今はネットで全国の人が見る事ができるので、良い人材が集まるんじゃないかな。

 昭和48年の1月から3月まで3ヶ月間、尾道日立造船向島工場で実習をしたことがある。その間に溶接、電機、仕上げの各部門を回った。それらが船舶機関士に必要かといえば、そうでもないんだが、現場の職工さんにいろいろ教えてもらって、為にはなった。最初行った電気溶接では、落ちている鉄板を拾って来て1日中練習した。別に強制された訳ではない。のんびりやっていいよと言われていたが、やりだすと非常に面白い。夕方になると職長が出来上がりを講評してくれた。そして手本を見せてくれたが、これが人間業とは思えない様な、すごい技だった。

 仕上げではHさんという人と親しくなり、発電用ディーゼル機関の解体、組み上げを一緒にやらしてもらった。はずしたネジ類はすべて一つの缶の中に入れていくんだが、どれがどのネジか、後からわかるのかHさんに聞いたことがあった。Hさん、上から順番にはずして入れてあるから、組むときは下からやっていけばいいんだと平然と言っていた。さて、ピストンをはずして、ピストンリング交換、軸受けメタル交換等した後、いよいよ組み上げだが、Hさんはわしにいろいろ教えてくれながら、まるで流れ作業のようにすいすいと組み上げていった。解体1週間、組み上げ1週間で合計2週間、Hさんの匠の技を見せてもらった。

 こういう人達が、世界に冠たる日本の造船業を下から支えてきたんだが、造船業も一時は3Kといわれて人気がなかった。後継者は育っているんだろうかな。

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