無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10587日

 去年の4月から家にいるが、いつの頃からかわからないが、よく夢を見るようになった。どうしても解決できないことを、いつまでも延々と続けている、或は続けなくてはならないというような内容で、とにかくしんどい。その時のシチュエーションも、目が覚めた時は覚えていても、すぐ忘れてしまう。夕べ見たのも、さっきまで覚えていたが忘れてしまった。どうせ見るならもっと楽しいやつがいいんだが、考えてみたら、実生活においてもこれといって楽しいこともないし、夢で楽しいことを望んでも無理かもしれんな。

 楽しいとか、うきうきするような感覚とはどんなんだったか、思い出そうとしてもなかなか思い出せない。年をとるとついつい先を見てしまって、今を楽しむ事ができなくなるのような気もする。子供の頃、遠足の前の晩なんかうれしくて、リュックサックを背負ったり降ろしたりしたもんだが、何がそんなにうれしかったんだろうか、さっぱり思い出せない。新入学がうれしかったかどうか、中学校入学がうれしかったのは、はっきり覚えているんだが。

 小学校4年生の時に、友達にどういうときが一番楽しいか聞かれて、わしは土曜日に学校から帰った時が一番楽しいと答えたのを覚えている。今の子供は土日休みが当たり前になっているから、この感覚はわからないだろう。休みに日に遊ぶのと、昼に学校が終わってから遊ぶのとでは楽しさが全く違っていた。とにかく学校に行かなくていいというのはうれしかったんだろうが、今は学校も仕事も行かなくていいのに、うれしくもなんともないのはどうしたことだろう。年をとるということはこういうことなのかな。

 しかし、実生活で楽しい事が何も無いとか、何が楽しいのかわからないとか、これはちょっとまずいんじゃないかと思う事もあるんだが、どうなんだろう。楽しいといった所で一過性のもので、そんなものは妄想にすぎないといえば、ある面では、それはそのとおりなんだが。さて、どこまでこういう状態がつづくのか、客観的にみていくのも面白いかもしれんな。