無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10580日

 朝鮮半島がきな臭くなっているようだが、備えろといわれても一体何をしたらいいのいか、皆目見当がつかない。水くらいは備えといた方が良いのか、備えるとしたらどのくらいの量を用意したら良いのか。核弾頭が飛んで来たとき、数分の時間しかないだろうが、どこに避難すればいいのか、そもそも核シェルター自体がないだろう。そんなことを考えてもいけないし、想定して訓練する事も許されなかったからな。座して死を待つしか無いのか。わしらみたいなじじいはそれでもいいが、若い連中はそうはいかんだろう。

 今でも韓国に10万人以上の日本人がいるそうだ。戦争が起きたときこの人達は自己責任になるんだろうが、どうするつもりなんだろうか。自民党も今頃になって策源地攻撃能力を持つとか持たないとかいっているが、ここ2ヶ月以内に起きれば、もう間に合わないだろう。それで日本国民を守れるんだろうか。国内が騒乱状態になった時、少数の予備自衛官しかいない自衛隊が押さえられるのか。大東亜戦争終結から70年、憲法改正を党是にした自民党に国民は多くの票を与えて来たにもかかわらず、自民党はそれをしなかった。

 国民の生命安全を守るのは国家の仕事で、国民との約束でもある。約束を果たすためには、憲法改正するしか方法が無いならやるしかないだろう。独裁と言われようと、きちんと説明すれば多くの国民は納得すると思うが、ミサイルの一発位飛んで来なければなかなか目が覚めないのかもしれんな。その一発が核ならそれでおしまいだ。インドの国防大臣の部屋には、広島の写真が掲げられているということを読んだ事がある。何も反核平和運動のためではない、インドは絶対に核攻撃は受けないという決意を示しているものだそうだ。本来なら日本こそ防衛大臣の部屋にそれを掲げ、日本は3度目の核攻撃は絶対に受けないと宣言をするべきだろう。

 とまあ、わしはこのように考えるんだが、もちろん何事も起こらないのが一番。しかし、今度ばかりは何かあるんじゃないかと思っている。とにかく、今出来る準備として、株は全部処分しといた。