無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10578日

 昭和20年4月7日は、戦艦大和以下6隻が沈没した、坊ノ岬沖海戦があった日だ。わしは30歳位のとき、吉田満著『戰艦大和の最期』を読んで、その全貌を知ることができた。『丸』なんかで断片的には知っていたが、まとまった本として読んだのは、この本が初めてだった。わしの持っている『戰艦大和の最期』はハードカバーで、吉田満のサイン入りだ。昭和27年8月30日初版発行で、わしのは昭和27年11月30日6版発行、定価160圓、地方定価165圓と書いてある。東京以外は5圓高かったんだな。

 昭和57年だったと思うが、俳句のB先生が亡くなられた後、奥様から遺品整理をしているので、いるものがあればあげますよとお誘いをうけて、大急ぎで、買ったばかりのスズキGSX400で駆けつけた。わしは本が好きだったので、まず本棚を見せてもらった。どれでも好きな本があれば持って行っていいといわれたので、松根東洋城が持っていたらしい、戯曲を数冊抜き出し、さらに探していたとき、ふと目についたのがこの『戰艦大和の最期』だった。

 題名は聞いた事があったが、実際に見たのはそのときが初めてだった。本の帯には「占領下七年を經て全文發禁解除」と大きく書かれており、どうやらGHQに発行を禁止されていたようだ。表紙の上にかけてあるセロファン紙もそのままで、その当時で既に30年経っているわりにはきれいな本だった。それらをいただいて帰るときに、玄関に積んでいる段ボールの中に、松根東洋城の手紙類があるのに気が付いた。これはどうするのか聞いてみると、捨てるというので、それも貰って帰ることにした。奥様に確認した所、夏目漱石や著名人からのものは入ってないということだった。

 じつはわしが急いでやって来たのには訳があった。わしはB先生が、松根東洋城の帝大や京都帝大時代から、亡くなるまでの全ての日記帳を持っていたのを知っていたので、それがどうなったかが気になっていた。しかし、奥様に尋ねても知らないというし、以前わしが見せてもらった、B先生の部屋にも置いてなかった。B先生に、いいものをみせてあげようと言われて、部屋に案内されて、そこで見たんだから、無いはずは無い。誰かが持って行ったんだろうが、奥様もあまり興味がないようで、結局わからずじまいだった。価値のわかる、しかるべき人の手に渡っていればいいんだが。