無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10571日

 女房の兄は7〜8年前に、脳幹出血で倒れて車いすの生活になっている。不幸中の幸いとでもいうのか、倒れたのが17時頃で、偶然にも会社の駐車場だった。すぐに救急車を呼んでもらえたので、わしらが急いで病院に駆けつけた時には、まだ意識があった。しかし、その後どんどん悪化していって、23時くらいに医者に呼ばれて、おそらくもうだめかもしれないと言われた。意識はないし、居ても用もないので、おふくろさんを残して、わしらはひとまず家に帰った。

 翌朝、今日で終わりかと思いながら、病院に行ってみると、驚いた事に、出血が止まって、脳圧が下がってきたということで、意識も戻っていた。医者の説明によると、死ぬ事は無いが、車いす生活になるらしい。わしらはみんな、死ぬ事に比べたら、たとえ車いすでも、命があるだけラッキーな事だと喜んだ。女房の父親のときは、初めは治ると言われていたが、まるで坂道を転がるように、あれよあれよという間に、悪化して死んでしまった。この時はそれとは全く逆で、もうだめだと言われていたのが、奇跡的に生き永らえた。寿命といえばそれまでなんだろうが、三途の川を渡り切るかどうかは、医学の技術なんかを超越した、何かの忖度が働いているのかもしれんな。

  命は永らえたが、それからは大変だった。リハビリができる病院に転院して、機能回復に励んだが、左半身不随が治る事はなかった。一生車いす生活はわかっていたが、いざ、その生活が始まってみると、本人の体格がネックになった。というのも、身長が190cm体重が90kgほどあったので、元気な時は、わしらが見上げるくらいの大男だったが、身障者になると、失礼な言い方かもしれんが、無駄に大きいんだな。女性1人では手に負えないこともあったりして、わしらも困った。元気なうちはいいが、大きいのも程々にしとかんと、寝込んだら大変だとみんなが実感したな。

 本人は18歳からずっと厚生年金を払ってきたので、すぐに障害年金がでるようになり、比較的安い施設にも入れて、生活に困る事はなかったが、その施設は建前上65歳になると出なくてはならないようだ。離婚して一人暮らしだったので、女房が時々施設を訪ねて、世話をしている。女房もいろいろ福祉関係の勉強をして、けっこう物知りになっているが、こんな知識にお世話になることなく、元気に一生を送る事ができたら、それだけで幸せな事だとつくづく思う。