無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10560日

 二男が以前から転職を考えて、いろいろ面接に行っていたようだが、やっと内定が貰えたと連絡して来た。まあ一安心というところだ。わしらの時代感覚からすると、一度入ったら定年まで勤めるというのが常識だった。転職を繰り返すと社会の信用をなくすと言われた事もあった。わしが会社を変った時には、転職先の会社が、前の会社に、やめた理由とか、勤務状態の問い合わせをしていた。何か良からぬ事をしでかしたんじゃないかと、疑ったようだが、こんなことが許されるなら、円満退社以外は再就職もできなくなってしまう。まあ、それほど転職は普通ではなかったということかもしれない。しかし、勝手に個人情報を問い合わせたり、漏らしたりして、それを合否判断に利用する事は、今では許されないんじゃないかな。

 二男の会社は一応一部上場企業で、そこそこの規模なんだが、話を聞いているとサービス残業が多い。もちろんサービス残業も程度によるとは思うが、程度を越えると働く意欲も失われる。ただ働きさせて全体の人件費を減らすというのは、倫理的にも法律的にもまともな企業のすることじゃないだろう。みんな生活のために働いているんだから、他のどこを削っても、労働対価はきちんと支払う努力をするのが、すじだと思うが。

 昔わしが船会社を変ったのは、収入の違いに気が付いたからだった。学生の頃はそれほど気にならなかったが、実社会では、船という同じ職場で、同じ労働をしているのに、入った会社によって収入に何倍もの差が出る。わしの最初に入った会社では超勤も厳しく押さえられていたので、外航船の船員では最安の部類だっただろう。そして思い切って会社を変ったら、航路はつまらなかったが、収入は一気に3倍になり、給与振振込先の銀行員が驚くほどの高給取りになった。これはうれしかった。

 しかし、結局わしの場合、その高給をもらっても、こんな生活をしていると、一生を棒に振ると感じて船をやめて、元の貧乏生活に返ったんだから、人生金だけではないというのが結論になるんだろう。だが、人間の煩悩は尽きない物で、そうは言っても、ちょっと金も欲しいかな、などと考えることもよくある。だいたいわしらのような凡人は、こんなことを繰り返して一生終わるんだろうな。