無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10550日

 4月になってから左腕がしびれるようになった。安静にしていればすぐに治るだろうと思っていたが、一ヶ月が過ぎてもほとんど変わらない。首を後ろにそらした状態で、頭を左方向に回すと、左の三角筋から親指を結んだ線に沿ってしびれる。しびれるだけで筋力低下や他の症状はなにもないんだが、とにかくうっとうしい。医者に聞いても、歳なんだし、だましだまし使っていくしなないだろうと言われてしまった。ひょっとしてぶら下がり健康器が原因かもしれないが、人には寝違えたと話すようにしている。

 わしは若い時腰を痛めたことがあった。それがちょうど空手初段の検定前だったので、無理をして練習していたら、検定が終わって練習を休めるようになっても、治らなくなってしまった。歩く事もできなくなり、困っていたら、友人が隣の島に痛みを直すのが上手な整骨院があると教えてくれた。問題は、満足に歩けない者が、どうやって港まで行って、船に乗り、さらに隣の島に着いて治療院まで行くかということだったが、島内にタクシーなんか走ってないので、結局、時間はかかっても、ゆっくり自力で歩いて行くしか方法は無かった。

 普段の3倍くらい時間はかかったが、脂汗を滴らせて、ふらふらになりながらも、なんとか隣の島の治療院までたどりつくことができた。しかし着きはしたが、ここでもし治らなかったら、また同じ道を苦労して帰るのかと思うと、絶望感に包まれていた。ところが驚いたことに、たった30分くらいの治療で、帰りはすたすたと歩いて帰ることができた。この島には大きな造船所があったので、工員で腰を痛める人が多かったらしい。そのせいか、町の規模に比べて治療院の数は多かったから、腕のいい人もいたんだろう。

 この時不思議に思ったのが、治療費が500円だったことだ。腰をもんだときも、そうでないときも、電気を当てたときも、そうでないときも毎回500円だった。一体この算定基準はなんだったんだろう。結構アバウトな保険請求していた様な気がする。当時被扶養者は5割負担だから、治療院には1000円はいることになる。いつ行っても患者は満員だったので、少なくとも1日50人はいたはずだ。そうすると1日5万円、年間200日働くと1000万円になる。当時日航機長が800万と言われていた時代だから、これはすごい年収になるなと驚いたことがあった。この時、いっそのこと船乗りなんか辞めて、柔整師になっていたらよっぽど儲かったかもしれんなと、今でも考えることがある。