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無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10537日

 この辺りは、温暖な気候なのでりんごはできない。わしが初めてりんごの木を見たのは20歳の時だった。知合いに長野出身の人がいて、その人の実家にお邪魔したときに篠ノ井線の車窓から見た、川中島あたりの風景を今でも忘れられない。くねくねと曲がって群生している黒い木は一体何の木なのかと、思わず隣の席の人に聞いてしまった。それがりんごの木だった。わしは、これがりんごの木かと、なんか感動した。

 あの時は大阪まで船で行って、大阪から特急しなので長野まで行ったんだが、大阪行きの船は満員で、ほんとうに雑魚寝だった。そこで偶然に出会ったのが、わしが1年だけ通った普通高校で1学年上にいた、船が好きで、船の写真を集めるのが趣味のSさんだった。東京の大学に帰るのにも船を利用するとは、さすがにSさんらしいと感心した。消灯まで船の話をして盛り上がったが、10月からの遠洋航海実習の話をしたら、これはうらやましがっていたな。

 大阪駅でSさんと別れてわしは長野に向かった。名古屋からとなりに座った人が、Tさんという国鉄職員だった。おかげで、塩尻で進行方向が逆になる事や姨捨山トンネル出口からの善光寺平の絶景等、途中いろいろ解説してくれて退屈する事はなかった。話を聞くと、長野に恋人がいて、これから親に結婚の承諾を得に行く途中なんだが、なかなか許してもらえないとため息をついていた。親の了解を得るために、何回も長野まで通うというのも、映画にでも出てきそうな話だし、国鉄職員だから特急料金だけで乗車できるので、その点は恵まれているのかなと、ちょっとうらやましくもあったな。

 長野駅前のパチンコ屋で時間をつぶすというTさんと別れて、わしは私鉄に乗って綿内という駅に向かった。綿内の○○さんということしか知らなかったが、狭い所だから誰かに聞けばわかるだろうと高を括っていた。しかしこれは長野の田舎をナメていたとすぐに思い知らされた。田んぼの中にぽつんとある駅は無人で、降りたのはわし1人、日も暮れて歩いている人も誰もいない。寒くなってくるし、この時ばかりは途方に暮れたな。

 家が建っている方向に歩いて行けば誰かに会うだろうと歩き始めたが、5分歩いても10分歩いても誰とも会わない。これはやばいなとさすがに不安になってきた。歩いていてもしかたがないので、思い切って道端の家に飛び込んで聞いてみる事にした。2軒目か3軒目でようやく○○さんの弟を知っているという人がいて、連絡をとって迎えに来てもらえたんだが、このときばかりは本当にほっとした。

 わしは今も予約無しで一人旅に出かけるが、スマホで当日の宿をとれるので何の心配もない。道端の家に飛び込んで聞かなくても、マップをみれば道に迷う事も無い。携帯電話で連絡もつく。だいいち行く前にストリートビューで状況を確認できる。本当に便利になったものだが、いつの間にか過ぎてしまう。わしがりんごの木を初めて見て感動したり、Sさんと偶然であったり、Tさんと何時間もゆっくり語り合ったり、雪の残る暗い夜道で途方に暮れたりしたこと。また、SさんもTさんもこれ以後二度と会う事は無かった。まさに一期一会だが、これだけ記憶に残る旅ができるというのも、若い時代の特権だったんだろう。

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