無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10536日

 最近、犬の小太郎が元気がないので、危ないんじゃないかと話したら、女房につまらんこというなと怒られた。小太郎を買いに行ったのは、二男が高校2年、長男が大学2年、長女は社会人1年生の5月だったので、もう10歳になる。既にじいさんであることは間違いない。車で20分ほどかかる、山の中にあるペットショップで、繁殖もやっているけっこう大きな店だった。この時は特に買うつもりはなかったので、わしもあまり金は持って行ってなかった。

 店の前庭に、金網で囲った3m X 4m位のスペースがあって、その中を茶色の2匹のミニチュアダックスが、仲良く走り回って遊んでいた。兄弟かなと思っていたが、店の主人に聞くとそうではなかった。わしらは店の中に入って、二男が欲しがっていたパピョンなんかをみていたんだが、女房はずっとミニチュアダックスを眺めていた。店の入って10分ぐらいたった頃、小学生の2人の子供を連れた夫婦が、犬を入れるカゴを持ってやって来て、追いかけっこをして遊んでいた2匹のミニチュアダックスのうちの一匹を抱き上げて、カゴに入れて連れて行ってしまった。午前中に来て、すでに購入していたらしい。

 かわいそうに一匹だけが残されてしまった。生まれたのが2ヶ月違うだけで、見た目変わらないのに、なんであの犬が選ばれたのか不思議だった。なんかしょぼんとして佇んでいたので、呼んでやるとすぐにこっちへ来た。そして何か訴えるかのように、じーっと女房の眼を見ていた。すると即座に女房はこの犬を買おうと言い出した。値段を聞くと35000円という。わしと女房と長女の持ち金をあわせると買える額だった。それでも二男は、パピョンもええなと言ってはいたが、80000円以上していたので、少なくとも今日は買えないし、女房はもう決めているので、突然このミニチュアダックスを買う事に決定した。

 それから3年後に花子が仲間入りするまで、毎日散歩にも連れて行き、唯一の自宅警備犬として働いてきた。若い時は布団の上でおしっこをしたり、長女の新しい靴をぼろぼろにしたり、柱をかんだり、悪さもしたがそれも仕方が無い。最近では、昼間、女房が仕事にでかけた後、出て行った勝手口の前に寝転んで、帰ってくるのを待っている時間が多くなった。動きも鈍いし、弱って来ているのは事実だろう。

 今朝、久し振りに小太郎の好きな散歩に連れていってやった。以前は軽快な足取りで、すたすたと前を歩いたんだが、今回は歩くのも遅いし、しんどそうなので途中で引き返した。ちょっと太ったこともあるんだろうが、犬の寿命から考えて、よく生きてあと5年か6年だろう。少なくともわし等、というより、女房よりは早く死んだほうが小太郎にとっても幸せだろうと思う。先に死んだペットは、あの世の入り口の橋のたもとで、主人を迎えてくれるらしいから、女房が行ったときは小太郎が尻尾を振って迎えてくれるだろう。だが、女房ほど小太郎孝行をしてない、わしの時はいないかもしれんな。

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