無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10533日

 4月の半ばくらいに、筋向かいの更地が、近所の幼稚園の運動場になった。この場所は、わしの親友の家があったところなんだが、丁度21世紀になった頃に、一人住んでいたおばさんが、岡山にいる長男のところに引き取られて行って以来、ずっと空き家になっていた。年に1〜2回、わしの親友と兄さんが帰って来て、2人で庭の草を抜いたりしていたが、それが2年程前に取り壊されて更地となり、幼稚園の駐車場として使われていた。

 引き取られて行くとき、おばさんは少しボケていたが、わしや女房やおふくろが見送っていると、車の窓をあけて、「長い間有り難う。行ってこうわい。」と、にっこりと笑って、手を振っていた。この一家とは、わしが生まれてからのつきあいだから、当時ですでに50年たっていた。わしの成長のアルバムの中に、いつもこの家族がいた。わしらは角を曲がって、車が見えなくなるまで手を振っていた。家に帰って、もう会う事もないなあと、おふくろと話したが、それから数年後に亡くなったらしい。少ししておふくろも亡くなった。

 うちから幼稚園までは50m以上離れているし、建物に囲まれているので、今までそれほど子供等の声は聞こえて来なかったんだが、或る朝、突然子供等の大きな声が聞こえるので、何事かと思って2階に上がって見てみると、その運動場で20人程の園児がおもちゃのバットやボールを使って野球遊びをやっていた。周りを高いネットで覆っているので、何に使うんだろうと思っていたんだが、これだったんだな。

 園児の授業だろうから、1回が20分くらいで終わるし、夜騒ぐわけではないので、別になんの影響もないどころか、じいさん、ばあさんか大学生しかいないこの地区で、小さな子供の声が聞こえるというのは、わしにとっては有り難いことだ。わしらが小さい時は、多い時は20人くらいの子供がわいわい言いながら、道路で缶蹴りやかくれんぼなんかをして遊んでいたが、どこの家の庭に入り込んでも怒られたことは一度もなかった。

 ニュースをみていると、近頃は近所に幼稚園や保育園ができるのに反対する年寄りがいるらしい。うるさいと思うか、元気でええなと思うか、今までの生き様が、気持ちに現れてくるんだと思うが、誰にでも子供の時があったんだから、その元子供が、今の子供が騒ぐのはけしからんといっても、説得力はないだろう。反対する年寄りが、あと何年生きるつもりでいるのか知らんが、子供には日本の未来がかかっているんだから、大事にしないとな。とはいえ、送り迎えの車が狭い道を走り回るのは、何とかしたほうがいいとは思う。