無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10527日

 昭和48年の1月から3月まで3ヶ月間、尾道市日立造船向島工場で工場実習を行ったことはあと10588日に書いたが、その時に、実習の合間に新造船や修理、定期点検に入って来る様々な国の船を見に行った。その中で、一番頻繁に訪れて、乗組員とも知り合えたのが当時の西ドイツの船だった。

 DAL2番船と呼ばれていた1.5万トンくらいの木材運搬船で、DALとはDeutsche Afrika-Linienという社名の略称だった。1番船は既に竣工して、当時は岸壁で同じ型の2番目の船の艤装が行われていた。この DALという会社は2001年頃の記事がネット検索で引っかかるから、その後合併しているかもしれないが、21世紀までは残っていたようだ。

  この船の引き渡しの時にDALの社長が来ていたが、女性だったのでびっくりした。西ドイツでも大手の会社だと聞いていたが、日本では女性が大手船会社の社長になることは、恐らく当時も今もないだろう。引き渡し終了後、プロペラが回転を始めて、岸壁から少しずつ離れて行く通称DAL2番船を、もう1人の実習生のK君と並んで手を振って見送っていると、馴染みの通信長がデッキに出て来て応えてくれた。

 ドイツ人と話をしたのはこの時が初めてだった。そしてドイツ人の話す英語が実に聞き取りやすいことに気が付いた。それは通信長だけでなく、機関士も同じだった。日本人と同じく、英語を母国語にしていないとはいえ、ドイツ人の話す英語は流暢で、しかもわしらのブロークンイングリッシュにも寛容だった。英語を母国語とする人は、英語ができて当然という感覚があるんだろうが、英語はドイツ人にとっても外国語なので、苦労がわかっていたのかもしれんな。

 この船で1つ、ドイツ人と日本人の考え方の違いがはっきり出ている事に気が付いた。それはメインエンジンの塗装の色だった。普通日本船では、油漏れがあった時すぐわかるように、明るく、薄い緑色に塗られていることが多かったが、そのドイツの船では真っ黒に塗られていた。これでは油漏れがわからないだろうと、一等機関士にその理由を尋ねてみた。するとその機関士は次のように答えてくれた。

「ちょっとした油漏れとかでも、気が付けばきれいにしようと思うだろう。しかし、実際はそんなちょっとした汚れなんかほっといてもなんの不都合も無い。それなら少しでも負担を減らすために、初めから気が付かないように黒に塗っとけばいいだろう。」

 これを聞いて、合理的と言うか、わしらにはこういう発想はできんなと、K君と話したものだった。