無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10525日

 最近朝の雑巾がけのときに、FireTVのユーチューブで昭和の音楽を聴いている。わしにとっての昭和の音楽とは昭和20年から50年くらいまでのもので、それ以降のものは、わしの記憶とあまり結びつかないので、興味が無い。更に昔の映像がバックに流れているものを見ていると、もう忘れてしまった、子供の頃の日本の風景が、懐かしく思い出される。

 そんな中で、「下町の太陽」とか、「さよならはダンスの後に」など、倍賞千恵子の奇麗な歌声がよく出て来る。じつはわしは島倉千代子だけでなく倍賞千恵子のファンでもある。デビューした頃、テレビや雑誌、当時映画の前に上映されていたニュース映像などで、お父さんが都電の運転士で、あまり裕福な家庭ではないとか、SKDの出身だとか盛んに紹介されていた。

 たぶんこれはどこかの映画館で見たニュース映像だと思うが、SKDのラインダンスの映像と一緒に、倍賞千恵子が紹介されていたのを覚えている。わしは其の時、何十人もの若い女性が揃って足をあげて踊る、ラインダンスというのを初めて見て、これはすごいと思った。小学生だったが、このときラインダンス、SKD、倍賞千恵子というというワードがインプットされたのかもしれない。

 その後28歳の時、東京で仕事をするようになったので、すぐに浅草国際劇場に行ってみたいとは思ったが、レビューを見るために、若い男が1人で入るにはちょっと抵抗があった。しかし、思案していても仕方が無いので、丁度銀河鉄道999をやっていた頃、思い切って見に行った。浅草国際劇場の前は人が一杯で、入場券売り場でうろうろしていると、後ろから肩を叩いて呼び止められた。「入場するんなら、安くしときますから券を買いませんか。良い席ですよ。」見ると背広を着たサラリーマン風の人が立っていた。話を聞くと、団体旅行の添乗員で、欠員分の入場券を売っていると話していた。ダフ屋ではないことがわかったので、わしも喜んで売ってもらった。

 グレンミラーのインザムードに合わせて踊る、初めて見るアトミックガールズのラインダンスには度肝を抜かれた。これがあの時、映画のニュースで見たラインダンスかと感無量だった。席が前から5列目くらいだったので、ダンサーの息づかいが聞こえてきそうな気がして、こんな美しいものが此の世にあるのかと、このままいつまでも見ていたいと思った。

 その後出し物が変る度に見に行ったが、残念ながら1年位で浅草国際劇場は閉鎖解体されてしまった。あの大舞台での迫力のあるラインダンスは二度と見る事はできない。最終公演は、出張で大阪に行っていたので見ることはできなかった。翌日、宿で読んだ新聞に、最終公演の記事があったが、最後に出口に全員が並んで、客と握手をしてお別れをしたと書かれてあった。本当に行きたかった。今でもこれだけが心残りだ。