無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10522日

 今日は朝から親戚の法事に行って来た。わしの祖父と伯父と伯母3人の、それぞれ50回忌、23回忌、7回忌の法事だった。その家の従兄弟に聞いたところ、お布施は3人分渡したらしい。お経は一回ですむので、坊さんにとっては都合がよかったのではないだろうか。来年が祖母の17回忌にあたるので、これも一緒にやってほしいと頼んだら、年が違うので駄目だと言われたと話していた。一回で済んだら施主にとっても寺にとっても都合がいいと思うんだが、そこは程度の問題で、あまり自由にやりすぎて、法事自体が形骸化してしまっては、寺にとってはやぶ蛇になってしまうので、そこらあたりの線引きはしているんだろう。

 今回の法事の案内は、3ヶ月ほど前に電話で連絡があった。忘れないように、すぐにカレンダーに書き込んだが、そのとき女房と、こんなに早い電話案内では忘れる人がいるんじゃないかと、話したことがあった。葉書で来たものなら残るから、忘れることもないと思うが、年をとると、受話器を置いて、ちょっと何かをした拍子に忘れてしまうこともある。今回はまさにその心配が的中した。

 坊さんも来て、そろそろ始まるというのに叔母が来ない。頼まれてわしが電話すると、叔母さん完全に忘れていた。法事があるのは知っていたが、それが今日とは知らなかった、というのではない。法事があること自体を知らなかった。やはり90近いんだから、3ヶ月も前に電話で連絡するだけでは無理なんだろう。手間と金はかかっても、往復はがきで確認するに限る。

 昔は法事に行くと、年寄りから古い話を聞けるのが面白かったんだが、今では昔のことを知っている人も少なくなった。わしが30代の頃、元陸軍通信兵だったWさんがいて、わしはこの人にいろいろ面白い話をしてもらった。わしもモールス信号は多少知っていたのでその話をしたとき、Wさんは、自分等が覚えていたのは数字だけだったと言っていた。「通信兵は暗号文を打つだけで、平文を打つことはない。」軍隊なんだから、言われてみれば当たり前のことだ。実際に戦場で電鍵をたたいた人の話なんか、今では聞きたくても聞くことができない。そういう意味では、法事も昔程面白くはなくなった。