無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10520日

 毎日いそがしく動いていると、自分の人生が充実しているような気がするし、何もしない時間が続くと、無駄に時間を過ごしているような気がして、自分の人生がつまらないもののように思えてくることは、誰にでも経験があると思う。実際はいそがしかろうが、暇だろうが、時間の流れるスピードは変らないし、自分がどう感じようが、社会に何の影響も与えない。自分の意識の中でぐるぐる回って、その中で完結しているだけだ。

 つまり、毎日の生活が、充実していると感じるのも、つまらなく感じるのも、それは意識が作り出している虚構の世界にすぎないのではないか。意識から離れて、自分を客観的に見る事ができれば、朝起きて、様々なことを思考して、やるべき事を完結して、静かに床に付く、これだけで十分充実して見えるはずだ。これを知るだけで、生きる事が楽になると思うんだが、実はこれが一番難しい。

 時々自分でも不思議に思うんだが、1日家にいても別に楽しいことはこれといって何もないのに、それでも朝起きて当然のように1日が始まる。そしてするべき事をして夜になると寝る。この生活というのは、此の世に生を受けて当然のように人生が展開して、するべきことをして死んで行く、という人の一生にも似ているのではないだろうか。家で過ごすようになって、1日1日が以前より大切に感じるようになったのはそういう事かもしれない。

 わしもあれがいい、これがいいと、いろんな事を考えたり、忙しく動き回ったりして、生活費をかせいできたんだが、そのような熱狂を取り払って、客観的に見たとき、結婚して家族を持ち、家族で生活し、子供が自立して出て行き、夫婦2人になり、親を見送り、そして1人になり、死ぬという事実が残るだけだ。そしてこれをまっとうしただけで、十分充実した人生だったといえるだろう。

 自分や家族の健康や安全を神様に祈りながら、争う事無く穏やかに、するべきことをして、淡々と死んで行く事ができたら、これ以上の幸せはない。

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