無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10517日

 日本人は痔の悪い人が多いらしい。痔というのは人に見せるものでもないし、医者にも行きにくいので放置することが多いようだ。わしの周りにも何人かいるようだが、医者に行ったのは1人だけだ。胃が痛いとか、風邪引いたとかいうときは、すぐに行くのに、やっぱり抵抗があるんだろう。まあそれですんでいる間はいいんだが。

 じつはわしは今までに2回、23歳の時と55歳の時に、肛門科にお世話になっている。23歳の時は、出血で便器が真っ赤になってあわてて病院に行ったんだが、こういうことでもなければ行かなかっただろう。便器が赤くなったら、気が動転してしまうが、実際の出血量はたいしたことはないんだよと医者に笑われた。そのときはまだ手術までする必要は無いと言われて、肛門に注射を打って直した。

 その後40歳を過ぎる頃迄は快調だったが、少しずつ症状が出始めて、55歳でとうとう我慢できなくなった。診察を受けると今度は初めから手術を勧められた。どうせ下剤で腸のなかを奇麗にするんだからと、ついでに大腸検査も勧められた。そして、3日後に入院して、まず大腸検査、次に日に痔の手術という段取りになった。

 当日午後1時頃に手術室に運ばれ、脊髄に局部麻酔を注射して、下半身を麻痺させて手術が始まった。2人の医者が何か楽しそうに話しながら準備をしているようだった。意識はしっかりしているので、聞くとはなしに聞いていると、「う〜ん、これは立派なものだな。切るのが惜しいな。」どうやらわしのイボ痔のことを言っているようだ。「そうですね、これはすごいですね。」「先生、ここ、スパットいきますか。」「うん、そこいこう。」ジュウと音がして部屋の電気が一瞬暗くなる。電気メスの電流が流れたんだろう。とつぜんタンパク質の焼ける匂いがしてきた。「先生、これもすごいですね。」「そこもスパットいってください。」ジュウ、そして匂い。こんなことを繰り返しているうちに終了した。医者同士の会話も面白かったし、思ったより楽で、拍子抜けだった。

 だが、本当にしんどかったのはこれから後だった。痛いし出血すると聞いていたので、最初の排便時の恐怖はかなりのものだった。終了後水を流さずに、状態を看護師に見せるようにいわれていたが、なかなか出ないので、何回も様子を見にきてくれた。何とかその関門も突破して、3日目に退院となった。それからの生活はじつに快適で、なんでもっと早くやらなかったのかと悔やまれた。これがあと29年もてばいいのだが。わしはこの経験から、痔が悪いと言っている人には必ず手術を勧めてきたが、わしの話を聞いて手術をした人はまだ誰もいない。まだまだ切羽詰まってないんだろう。足の骨を折って整形外科に行くのと同じ事なんだが、肛門科の敷居は高いようだ。