無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10515日

 中学生の時の歴史のOK先生は、面白い人だったが、それだけでなく、授業もなかなか歴史の本質をついた役にたつものだった。このOK先生はもちろん戦前の教育を受けて育った人だったので、天皇の名前はすべて丸暗記していた。神武綏靖安寧懿徳孝昭...大正今上まで、最初の授業の時にすらすらと言ったのには、わしらみんなびっくりした。親父も知っていたから、当時の子供は尋常小学校で覚えさせられたんだろう。子供のときは、役にたとうがたつまいが、何事でも有無を言わせず丸暗記させるということも大切ではないかと思う。

 また、OK先生は国語の先生かと思う程、漢字にうるさかった。授業中でも、試験でも漢字の間違いは必ず指摘していた。わしらにとって、特に厳しく感じたのは、歴史の教科書にでてくる人名、地名、年号等、漢字で書かれているものは、すべて漢字で書かなければ、点がもらえなかったということだった。例えば「親鸞」を「しんらん」と書いたのでは零点とされるし、ナポレオンの説明で『予の辞書に不可能の文字はない』という一節を書いた時、『予』と『余』と直されて1点減点されていた。

 こんな感じだから、歴史の試験勉強も半分は漢字の練習になっていたが、今から思うと、歴史の細かな内容なんかよりも、この時身につけた、歴史的事項は漢字で書くという習慣のほうが、その後の生活において、よっぽど役に立っていると感じることがある。漢字と言えば、わしが船の学校に入学した時、最初の現国の授業で、担当のK教官が言ったことを今でも覚えている。「君たちは卒業すると、商船士官として部下を指導する立場にもなるんだから、きちんとした文章が書けないと恥をかくことになる。其のためにはまず漢字を正確に覚えることだ。したがって、この現国の授業では、1年間漢字だけ覚えればよろしい。」と言って、ほんとうに1年間、試験は漢字だけだった。

 こんな島の学校の先生だが、このK教官は旧制広島高等師範学校、旧制東京文理大学卒のエリートだった。数学のK教官は弟で、この人は京都帝国大学卒、古典のT教官は東京帝国大学卒、物理のTK教官は京都帝国大学卒で仁科研究室にいたらしい、とにかく今から考えたら高等学校レベルの学校にこのような学歴の先生がいたことが信じられないくらいだ。特に物理のKT教官なんかは、突然授業中に黒板一杯に数式を書いて、相対性理論だと言い出したり、物理の教科書の何ページに1カ所間違いがある、それをみつけたら物理は100点をあげると言ったり、よくわからない不思議な人だった。体を壊して東芝の研究所を辞めて島に帰ってきたらしいが、天才だったんだろう。