無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10514日

 親父はわりと映画が好きな方で、よく一緒に連れていってくれた。わしが子供の頃はまだ映画全盛の時代で、家の近くにもH劇場、D劇場の2軒の映画館があったし、洋画のD劇、G映なんかもよく連れて行ってくれたが、洋画は字幕なので中身はよくわからなかった。今浮かんでくるだけでも、「なぐりこみ艦隊」「南太平洋波高し」「機動部隊」「二等兵物語」「無法松の一生」「隠し砦の3悪人」「蜘蛛の巣城」「ゴジラ」「四谷怪談」「番町皿屋敷」「コマンチェロ」等いろいろあるが、三船敏郎と西部劇、戦争映画が多かったような気がする。若い頃みた三船敏郎の「酔いどれ天使」が面白かったとよく話していたように、三船敏郎の映画はほとんど観ているんじゃないだろうか。

 中学生になると1人で見に行くようになった。本当は推薦映画以外はいけなかったはずなんだが、見つかったことはなかったから、それほど厳しくなかったんだろう。中学1年生の夏に「チコと鮫」というのを見に行ってその音楽と奇麗な映像に感心したことがあった。子供心に、映画のように南太平洋の島でかわいい女の子と一緒に泳げたら楽しいだろうなと想像したのを覚えている。

 その後、学校帰りに時々友達と見に行くようになり、ディーンマーチンのサイレンサーシリーズやパッツィ・アン・ノーブルという女優が出ていた「殺しへの招待(Death is a Woman)」という映画などを見に行ったことがあった。この映画には後ろ向きだが、ビキニのひもをほどいて、裸になるシーンがあり、わしらの間で話題になった。22歳のときにビルマで同じ映画をみたが、確かにそのシーンはあったが、別にどうということのない単調な映画だった。ガキどもは一体何を期待していたのかな。

 当時の文部省推薦映画に「キスカ」や「青島要塞爆撃命令」というのがあった。今なら、舞台が軍隊だからという理由で、少数だが声が大きい集団が反対するから無理だろうな。それだけ社会が偏ってきたということなんだろう。1つは命をかけて味方を助けに行く話だし、もう1つは当時は珍しかった飛行機を使って、苦労しながら要塞を攻撃するという話で、子供の教育にも役立つ立派な作品だった。このような作品が、推薦映画になる日が再び来る事を期待している。