無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10513日

 わしも若い頃は、女性をつきあったこともあるが、あまり楽しいという印象は残っていない。昔から話はうまくないし、どちらかといえば、黙って聞いているほうだったので、気の利いたことも言えず、会話の間に妙な沈黙が続く事がよくあった。何か言わなければと、あわてて的外れのことを言ってしまって、また沈黙が続くという負の連鎖にはまってしまうことがよくあったが、この沈黙を拒否するタイプの女性は、わしには無理だったな。楽しい印象が残ってないということは、こんな女性が多かったということだろう。そりゃ女性にしてみたら、こんな気の利いた事のひとつも言えないような男と遊んでも面白くないだろう。

 しかし、30歳くらいになると少し状況が変わってきた。女も男も相手を見る視点が変わってくるのかもしれんが、沈黙が続いてもそれほど負担に感じなくなった。わしのほうも結婚相手としての視点から見るようになるし、女性側も30男を全くの遊び相手として見る事はなくなったということだろう。これがお見合いになるとさらにはっきりしてくる。わしは見合い結婚なんだが、これはもう結婚を前提としているから、気の利いた会話とか、妙な沈黙なんかは枝葉末節のこととなり、人としてもっと重要な面が表にでるようになるんだろう。

 若いときは振ったり振られたり、ゲームのような感覚でやれたが、歳をとってくるとそうもいかない。其の点、お見合というのは利にかなった方法なんだが、最近周囲でもそんな話は聞かなくなった。昔はやり手の生命保険のおばちゃんとか、いつも写真を持ち歩いて世話をしていた。自分の顧客も増えるから一石二鳥ということなんだろう。それにしても、恋愛しなくても結婚できる、こんな便利で役に立つ、お見合いというものが、なぜ廃れたきたのか不思議でならない。

 もしも恋愛をしなければならない結婚できないとしたら、下手をすればわしも結婚できなかったかもしれない。若くもないしスマートでもない、口べただし、人と会うのも、電話するのも苦手だ、給料はやすいし、第一にあまり家からでない。性格はそんなに悪くないと思うが、そんなことは遊び相手ではなかなか理解してもらえない。其の点お見合いなら相手も見た目、収入、年齢なんかは、わかった上で付き合うので話が簡単だ。それに1番大切なのは、似た様な家庭環境の人を紹介してくれるということだろう。結婚を前提としている以上これは大切な事だ。

 うちの子供は3人とも自分で探して来たので親の出番はなかった。そういうところは親に似なかったようだ。結婚は恋愛の延長にあるものではない。結婚して家庭を持ち、子供ができたら、人生が変ることも事実だ。そのチャンスが誰にでも満遍なくまわってくる方法と言えば、お見合いしかない。日本のこの優れた制度にもう一度陽を当てることが、少子化対策にもつながると思うんだが、じじいの戯言かな。

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