無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10507日

 昨日長男夫婦がやって来て、父の日のプレゼントとして図書カードをくれた。たまには家から出て、書店で購入するためにわざわざ図書カードにしたらしい。以前に、どうせくれるんなら、ネットで使えるアマゾンギフトにしてくれと言っておいたんだが、その意見は却下されたようだった。困った事に、女房と子供の間で、わしが家から出ないで引きこもっているので、だんだんボケて来ているんじゃないかということが、共通認識になってきているようだ。

 しかし、家に引きこもっているからボケるという意見に関しては異論がある。長男にも言ったんだが、家に居るからといって、一日ぼうっと過ごしている訳ではない。人との接触が無いだけで、朝起きてから寝るまでやるべきことはいっぱいある。主夫は忙しい。家にいるのが原因でボケるというなら、専業主婦はボケ婦人予備軍かな。それでも1年たつと、何をするにも手早くなり、時間がかからなくなった分空き時間が増えたのは事実だ。中でも一番の時短が夕食の下ごしらえだろう。献立は女房に考えてもらうが、どんなものでも、下ごしらえは昼食後一時間もあればできるようになった。

 あと10874日に書いたように、この生活を始めたのは、勿論出歩くための金が無いのもあるが、『実験漂流記』の如く、鬱で引きこもった親父のあとをたどってみようという試みでもあった。最初は引きこもり生活は去年の11月3日までのつもりだったが、やっているうちに、この生活がわしの性分に合っているんじゃないかと思うようになってきた。しかし、それは単に頭でわかったような気になっていただけだったのかもしれない。あと10587日に夢に関して書いているが、この頃にみていた夢は、やらなければならないことがあるが、どうしてもできないという様な、本当にしんどい夢が多かった。どこかに無理があったのだろう。

 ここ2ヶ月ほどは、そんな夢はみなくなった。これが何を意味するかわからないが、この生活に心身ともに馴染んで来たのは事実だろう。民生委員をやったり、老人見守りをやったりして、社交的だった親父が、おふくろの死後、鬱になり、趣味の写真も庭いじりもやめて引きこもったのは本当に衝撃だった。わしも女房もどうすることもできなかった。わしは仕事に行っていたから普段は家にいなかったが、ずっと一緒にいて世話をしていた女房は、食事がまずいとか、口にあわんとかいろいろ嫌な事を言われたようだった。病気が言わせるとはわかっていてもつらかったようだ。

 紆余曲折はあったが、結局最後は話し合って施設に入ってもらうことになった。盆と正月に家に帰ってきた親父は楽しそうだった。それを見て、わしも女房もいろいろ迷ったり、悩んだりしたが、みんなが無理なく暮らして行くにはこの方法しかないと思う事にした。適当な時にさっさと死んでやるのが親孝行ならぬ子孝行であり、最後の勤めだということがよくわかった。

 この生活の中で、あの時親父はどういう気持ちだったのか、何をしてほしかったのか、何をしたかったのか、その思考過程を疑似体験できたら、それを反面教師としてこれからの生活に活かせるのではないだろうか。