無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10506日

 35年も前の話だが、わしと同じ村出身の新興宗教の教祖がいた。歳はわしより40も上だったはずだ。その人は金集めが苦手だったし、信者も少ないので普通の金満宗教家というイメージではなかった。その教団にはそんなに長い期間通ったわけでもないので、直接話したのは3回か4回くらいのものだったが、その中で何回か利殖の話を聞いた事があった。

 その教祖が言うには、「よく信者から、神様と直接話が出来るんだから、相場の行方なんかわかるじゃないかというような質問を受ける事があるんだが、それはわからない。以前、金が無くて苦しい時にお伺いをたてたことがあるが、少しも当たらず、お金が減って行く一方だったことがあった。そもそも、個人の利益のために、神様から与えられた力を利用しようとする、その考えが間違っているということなんだろう。それ以来自分で積極的な投資はやめた。」

 この話を聞きながら、当時わしは既に株式投資をやっていたので、そりゃ神様が、あがる株を教えてくれて、わしの金儲けの片棒をかついでくれるなら、こんな有り難いことはないが、そんなこと考えた時点で、宗教とは別な世界に飛んで行ってしまって、あと10794日で書いた事の二の舞になってしまう。じゃあどうやって増やすのが良いのか聞いてみたところ、利子ならかまわないと言った。しかも貸付信託に限ると条件付きだった。貸付信託といえば、今の人は想像できないだろうが、半年複利で8%とか9%とかいう信じれられないような利率で利子がついていた時代だ。

 「先生、お言葉ですが、神様に聞かなくても、株は儲かりますよ。」と喉まで出かかったが呑み込んだ。実際、貸付信託が高利率であっても、当時は株のほうが儲かっていた。今から思えば随分ダイナミックな時代だったもんだ。この先生は教団資産は全部貸付信託で運用していたらしい。それだと運用額も大きいから、確実に増えて行ったことだろう。

 結局、話を聞いたり、教えてもらったり、高い本を買わされたりするのに、ずいぶん金がかかる事がネックになり、わしはこの人とは縁を切った。生活も大変だったようだが、この事は、宗教をするにしても、何をするにしても、まずは自分の生活費は自分で稼がなければ、本当の自由は得られないのではないかと、改めて気づかせてくれた。自分の食い扶持は自分で稼ぐ、話はそれからだ、ということかな。

 この教祖は、2〜3年前に新聞のお悔やみ欄で見たから、かなり長生きされたようだ。

広告を非表示にする