無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10505日

 わしの中で、4月19日という日は、親父が老人ホームに入所した日で、忘れることができない日になっている。精神的に不安定だから、一旦行くと決めてからも、いろいろ揺れ動いたんだろう。4月19日もひょっとしたら調子が悪かったのかもしれない。ホームに行って、所長と4人で話していた時、わしらを指して、次の様な事を言い出した。「あんたらのために入ってやる。あんたらに言われて、わしはここに死にに来た。今日は4.19で「死にに行く」という丁度いい日だ。」それを聞いて、なるほど死にに行くとは上手い語呂合わせではあるなと、笑ってしまったが、女房は笑ってなかった。

 所長も何と言ったらいいのか、言葉を探していたんだろう。暫く沈黙が続いた。親父も言うだけ言ったらすっきりしたのか、その後は事務的な処理も淡々とすまして、夕方わしらが引き揚げる頃には、普通の状態の親父になって、わしらを見送ってくれた。女房にしてみたら、自分が世話をするのが嫌でホームに預けられた、というような言い方をされたのがショックだったようだ。実の息子でも腹が立つやら、情けないやらでこのクソ親父が、と思ったくらいだから、嫁の立場からすれば、いたたまれない気持ちだったんだろう。

 もちろんわしらも出来る事なら家にいてほしいと思って、デイサービスとショートステイを利用するよう頼んだんだが、どうしても嫌がって行かなかった。家にいても部屋を暗くして籠っているだけだが、飯は3回準備はしなくてはいけない。しかも親父は偏食で、食べ物に文句を言うので、気に入ってもらうのも難しい。女房も働きに行けないので、食費の援助位はしてもらいたいというと、自分の分は実費で払うと言ったり、元気な頃の親父とは全く人が変わったようになってしまった。デイサービスもショートステイも、世話する人が休むために必要だと思うんだが、そこまで考えが回らなくなっていたんだろう。

 最後の帰宅となった平成25年の正月、この時はもう既にかなり体が弱っていたので、これが最後になるだろうということは予測できた。その頃だったと思うが、親父がわしらに「まだ元気なうちに老人ホームに入っとって良かった。」と言ってくれた。これには女房も喜んでいた。9日にホームに帰って19日にすぐに危篤だという事で呼ばれ、その後4月28日に、おふくろと同じターミナルケアの病院で亡くなった。最期を看取ったのはわしと女房2人だったが、息を引き取る直前にわしら2人を見て、にっこり微笑んでくれた。これですべてのことが解消した。