無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10503日

 昨日は午後4時頃に寝て、起きたのは今朝10頃だった。だいぶすっきりして、峠は越えたようだが、咳、痰がまだ止まらない。18時間も寝たのは、ほんと久し振りだったが、やっぱり調子が悪いときは寝るに限る。ずっと元気で、医者に行く事もなかったし、健康が当たり前で、別に有り難いと思う事も無く過ごして来たが、2年前に、酒を飲むと喘息がでるようになったり、時々、脈が飛ぶようになったり、体はいつまでも元気ではないんだなあと、近頃つくづく感じている

 ワープロが出てきてから、文字を手書きする機会は少なくなった。わしも40歳くらいからMacWordを使うようになり、OSXになってMacをやめるまで使い続けた。その後はWindowsに変えたが、いずれにしても、今では手書きで、まとまった文章を書く事が、できなくなってしまった。これではいかんと思って、最近はなるべく文字を書くようにしている。ちょうど仕事を定年退職した時、記念に勤務先からウォーターマンの万年筆を貰ったので、これを多用しているが、力を入れなくてもすらすら書けるので、たいへん使いやすい。

 わしが中学生の頃、商店街の真ん中に「○○田」という万年筆専門店というのがあった。それだけ万年筆が単価の高い高級品だったんだろう。中学を卒業する頃、一度だけそこで買ってもらったことがある。あと10640日で書いたように、「永」という字を書いて、何本も書き味を試した末に、1500円のプラチナ万年筆を購入した。それに金で名前を入れてもらって厳かに受け取ったが、当時の万年筆にはそういう雰囲気に、違和感を感じさせない位のステータスがあったのかな。

 そんな時代もあっという間に過ぎて、その店もいつの間にかなくなっていた。わしはつぶれたんだろうと思っていたんだが、そうではないということを最近知った。実は店主は万年筆の時代は続かないと、早めに見切りをつけて店をたたみ、そばやに転向したらしい。そのそば屋というのも、個人で細々とやっているようなそば屋ではない。手広くあちこちに店舗を出していて、この地方では誰でも知っている、あの「そば○○」だと聞いてびっくりした。

 このことを教えてくれた友人が「先を見通せる人は、どんな波がきても越えて行く事ができるが、わしらみたいにぼうっとしとったら、いつのまにか置いていかれるということかな。」と話していたが、確かにこの人生において、良い事も悪い事も、辛い事も楽しい事も、何事であれいつまでも続くことはない。いつかは終わる。これは当たり前のことだが、波の中では忘れてしまっていることが多い。何事にも流されることなく、自分を客観的に見る事ができたら、より豊かな人生を送る事ができるんじゃないかと思うんだがな。