無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10501日

 6月19日に喉が少し痛くなって、その後、20日の夕方から寝込んで、今日24日午後になって、やっと普通の暮らしに戻る事ができた。若い頃だと一晩寝れば大丈夫だったんだが、65もすぎると、単なる風邪でも、これほど体に負担がかかるようになるとは思わなかった。やっぱり、初期症状の段階で、病院にいったほうが良いということだろう。

 わしは子供の頃から船が好きだったので、新聞や雑誌なんかで船の記事があると必ず読んでいた。その頃にある雑誌で、きれいなカラー写真で紹介されていた船があった。巡航見本市船さくら丸という船で、日本製の物を積んで世界を回っていると書いてあったが、一体何をする船なのか、全く理解できなかった。そもそも見本市という言葉の意味がわからなかった。船は1万トン程の客も貨物も乗せるという貨客船で、運航は商船三井だった。

 その記事の中で、ドバイかバーレーンか忘れたが、そこに行った時に、来船者の感想として「日本製品は以前は安かろう悪かろうだったが、今は安かろう良かろうになっている。」というのがあった。もちろん記者の意訳だと思うが、この『安かろう悪かろう』というフレーズは、わしの子供の頃にはよく聞いたことがある。昭和30年代には、日本製品の評価は、欧米の製品と比べると、まだまだ低かったんだろう。そういう時代を知らない日本人は、日本製が高品質だと、世界で言われているのを、当たり前のように思っているかもしれないが、実はそう言われるようになったのは、ここ40年程のことにすぎないということだ。

 第一次大戦の頃は、軍靴の底を皮ではなく、紙で作ったものを輸出して、大儲けした企業もあったというようなことを、本で読んだ事があるが、恐らくそのようなことがあって、ずっと揶揄されてきたんだろう。それらの悪評を払拭するのに、数十年の努力を要したということになるのかもしれない。同じように、今、よその国を笑っていても、その国も後40年もしないうちに、良いものを作れるようになる可能性もあるということだ。

 さくら丸の時代、田舎の小学生にとって、世界はとてつもなく遠い所だった。ネットでさくら丸の写真を見る事ができるが、あんな小さな船に、日本の商品を満載して、それらを売り込むセールスマンとして世界中を回っていたということを、あの頃は想像もできなかった。そうした先人の努力の成果を、わしらは棚ぼた式に享受してきたわけだが、日々のニュースや国会なんかを見ていると、どら息子が親の財産を食いつぶしているように思えてならないんだが、気のせいかな。

 あの時代は、焦土から豊かさを求めて、日本全体が一丸となって躍動していた、希有な時代だったと言えるのかもしれない。ひょっとすると、100年後には1つの時代として区分されているのではないだろうか。