無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10499日

 この間亡くなった従兄弟のJさんが、昭和30年に新制高校を卒業して、プロパンガスの会社に就職した関係で、わしの家のガス化が早かったことは、あと10529日に書いた。ガスコンロのおかげで、まず台所から七輪が無くなった。数年後にガスストーブを購入してからは、練炭火鉢も要らなくなるかと思ったが、これはそうはならなかった。如何せん、ストーブはガスの消費が多すぎた。おふくろもさすがに、ストーブだけは自由に使わせてはくれなかったな。

 そんな時に、Jさんがガス消費が少ない、新しいストーブを持って来て、置いていった。多田野鉄工という会社の製品で、あまり大きな部屋は効果がないかもしれないが、六畳間くらいなら大丈夫だと言っていた。この多田野鉄工という会社は、恐らく油圧機器大手で、昭和28年創業の、あのタダノのことだと思うんだが、創業のころはこんな物も作っていたんだな。

 そのストーブだが、一見しただけ経済的だとわかるシンプルな構造で、今でも同じような物があるかどうか、ネットで探してみたが、見つからなかった。そのガス消費量はというと、たぶん家にあったのが10kgボンベだと思うが、わしが自分の部屋で、一冬毎晩使っても、3月にしまう時に半分以上残っていた。下手な絵を描いてみたが、直径2cm程の陶器に、ガスが通る直径3ミリほどの穴が10個ほどあいているだけなので、ガスはほとんど使わない。その燃え口をカバーするように直径5cmくらいの円球のメッシュの金網を差し込んでいる。チョロチョロ燃えるガスの火で、この円球が真っ赤な火の玉のようになり、その熱を丸い反射板が集めるんだが、この反射板が上手く出来ていて、熱くて前に立っていられないくらいだった。

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 わしは昭和43年に、島の全寮制学校に入学して、家を出る事になった。丁度その年に、Jさんの長男が小学校に入学するので、使わなくなったわしの机や椅子をあげることにした。それらを取りに来たJさんが、是非あのストーブを譲ってほしいと言ってきた。そして実は..... 、と話しだしたJさんの話を聞いて驚いた。あのストーブはうちに持ってきてから暫くして、販売できなくなったらしい。その理由が、効率が良すぎてガス屋が商売にならないからだと聞いて、そんなこともあるのかと、わしらは笑ってしまった。Jさんも欲しかったが買えなかったということなので、喜んでうちのを譲ってあげた。

 戦後の何も無い頃に、ガス屋が音を上げるほどの、効率的なガスストーブを作ってしまったというこの事実は、ソニーやホンダなどの成功談に匹敵すると思うんだが、誰も知らないだろうし、おそらく多田野鉄工の社史にも載ってないんだろうな。勿体ない事だ。