無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10498日

 65歳になって過去を振り返ってみると、人生というものは鉄路に似ていて、いたる所にポイントが設定されている。そして指呼確認しつつ、そのポイントを切り替えて進路を決めていったんだろう。それらのポイント切り替えが、すべてが正しい選択だったかどうかわからないが、一応、無事にここまで来たんだから、間違ってはいなかったのかもしれない。恐らくこれから先は、今までの様な大きなポイントは無いだろう。最後の最後には、廃線に導く、大きなのが待ち構えているが、そのポイントを切り替えるのは、わしでないから、流れに任せるしかない。

 その先に何があるかなどということは、そこから先、行って帰って来た人がいないから誰にもわからない。わからないから恐ろしいとも言える。しかし、親の死に際を見ていて、その時が近づけば、本人にはわかるんじゃないかと思うようになった。親父はしんどかったようで、殺してくれというように、時々、自分で自分の首を絞める動作をしていたし、おふくろは死の数日前から死を恐れなくなった。

 特におふくろは、突然、余命3ヶ月を宣告されたので、パニックになって寝込んでしまった。その後、遥か昔に亡くなった、自分の母親がやって来るようになって、夜も寝られなくなり、いらいらして親父に当たるようになった。その度に、親父はおろおろするだけでなすすべがなかった。この状態がほぼ9ヶ月続いた。ところが最後の数日はよく寝るので、母親が出て来ないのか聞いた所、今も来て、そこに座っているけど、何も恐ろしくはないと言った。その指差した場所を見ても、当然わしには何も見えないが、確かにそこにいたんだろう。

 その、母親(わしの祖母)の○○さんという人は、戦後すぐに亡くなっているので、わしは写真でしか知らなかった。その○○さんが、写真と同じ着物姿で毎晩やって来るのが怖いというので、自分の母親が出て来ても怖くはないだろうと言うと、死んだ人は恐ろしいと言っていた。余命を宣告されたとはいえ、生きる事を諦めていなかったからこそ、たとえ親でも、死の影を見るのがつらかったんだろう。

 戦争中、船が沈められて海に投げ出され、一度は納得して死を覚悟した人が、救助の船がやってくるのを見て、助かるかもしれないと思った瞬間、死の恐怖が襲ってきた、という話を聞いたことがある。つまり、生きる希望と死の恐怖はコインの表裏みたいなもので、死がそこまでやってきたことを受け入れなければ、死の恐怖から逃れることはできないということかもしれない。確かに最後の3日程は、おふくろは従容として死を受け入れていたように見えた。やはり死期を悟ったんだろう。

 死を受け入れるとはどのような心境なのか、今のわしにはわからない。体の細胞が限界を教えてくれるのか、あの世から回覧板でもまわってくるのか知らないが、死とは捨てることではなく、新しい何かを手に入れることではないだろうか。親父の最後の眼の輝きをみてそう思った。