無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10497日

 最近、長男一家がうちの近所で、築51年になる中古住宅を購入した。本人らは当分住む事はないので、わしに管理人になって、時々空気の入れ替えをしてほしいと頼まれた。家にいるので、気軽に引き受けたが、これもやってみると、なかなか面倒くさい。それでも空気を通さないと家が傷むというので、週に1回くらい行っている。やはり玄関を入るとカビ臭いし、空き家というのも、あまり気持ちのいい物ではないな。

 昨日、わしの家の1階部分をリフォームをして貰った、「新築そっくりさん」の担当者、Dさんにに来てもらって、全棟リノベーションが可能かどうか、家をチェックしてもらった。2人で来て、1時間程かけて内外を調べて回った結果、問題ないということがわかった。長男はまだ新築も考えているようだが、Dさんが言うには、リフォームだと、市から耐震工事補助金が、最高100万ほどでるらしい。

 さらにこれは、わしらも知らなかったんだが、全棟リノベーションで、新築そっくりになっても、固定資産税は築51年の古家のままで、高くなる事は無いという事だった。それだと、ただみたいなものだ。「劇的ビフォーアフター」なんかで、倒れかけたような、小さな古家をリフォームしているのを見て、土地に制限があるのかと思っていたが、案外固定資産税の問題というのが、大きかったのかもしれんな。

 間取りを考える時、長男に、わしらの希望としては、仏壇を置くスペースだけは確保しておいてほしいと、言っておいたんだが、わしらのどちらかが1人になった時、一緒に住めるように、1部屋作ることを考えているという事だった。これは非常に有り難いんだが、得てしてそういうスペースは無駄になることが多いのも事実だ。

 実はわしらが以前住んでいた家は、親が一緒に住むというので、500万程借金して、6畳間とトイレ、小さいキッチンを増築したが、親は来て泊まる事もほとんど無かったので、それらは全く無駄な出費となってしまった。ほんとがっかりしていたんだが、そこは将に「禍福糾える縄の如し」で、売る段になってその増築が力になった。買い手は夫婦子供3人プラス老母という家族構成で、その増築部分が決め手となって、少し高く買ってくれた。

 子供等が、気にかけてくれることは、大変有り難いことではあるが、わしとしては、なるべく世話になることなく、たとえ1人になろうが、死ぬまでこの家で、自立した生活を続けるつもりだ。ネットに繫がっていれば、なんとかなるだろう。