無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10496日

 朝の掃除が終わって、雑巾を干しに出たついでに郵便受けを覗くと、市の広報が入っていた。一休みしながら読んでいるうちに、国保自己負担額変更のお知らせという、なかなか興味深い記事に気が付いた。今年はめでたく、市民税非課税所帯のお墨付きを得ることができたので、その記事によると、国保自己負担限度額が月35400円になるらしい。すぐ下は生活保護所帯で、ここは自己負担限度額が月0円だから、振り向けば生活保護、とでもいうポジションかな。

 昔、住宅金融公庫で住宅資金を借りる時に、強制加入だった団信がそろそろ終わるので、新しい生命保険に加入するかどうか検討中なんだが、これを見て、その必要性があるのかどうか、ちょっと疑問に感じた。本来生保の医療保険は、病気で働けなくなった時の、所得保証という意味合いもあると思うが、それは、わしのような、働いてない年金生活者には、何の意味も無いことだ。しかも、あわよくば自由診療で、少しでも永らえようなどと、全く思ってないから、月35400円以上かかることはない。個室に入った時の差額ベッド代がでるとか言う人もいるが、それこそ生保の思う壷だろうな。実際のところ、65になると保険料も高額になるし、葬式代を死亡保険でカバーしとけば、それでいいのではないのかな。

 外国航路の機関士として就職した時、生命保険に加入しようと思って、何カ所かの保険代理店に電話をかけて聞いてみたんだが、職業的に入れないと、断られたことがあった。保険屋が損する様な危険な職業は、はじかれることがあり、外国航路の船乗りが、それにあたるということを、その時初めて聞かされた。

 しかし、『蛇の道は蛇』とはよく言ったもので、おふくろが、近所に住んでいた、生保レディーならぬ生保おばさんのUさんに聞いてみたら、「確かにそういう規則になっているけど、わたしが手続きをすれば入れるよ。」と言われた。このUさんは、D生命で何回も全国表彰されている、この業界では有名人だったから、発言力があったんだろうと思っていた。結局わしはこのUさんに連れられて、指定医で診断書を書いてもらって本当に加入することができた。

 ところが、実際に船に乗ってみると、神戸港に入港する度に、本物の若いきれいな生保レディーが、堂々と生命保険の勧誘にやって来るではないか。国際港の神戸では、外国航路の船乗りでも生保に加入できるらしい。田舎で加入できないと言われたのは何だったのか、それを覆したのはUさんの力ではなかったのか、今でもわからない。それにしても、こんなきれいな女性を送り込んでくるのも、生保会社の作戦なんだろうが、そこにあざとさを感じたな。とはいえ、わしも、危なく判をつきそうになったから、まあ、○○恐るべしということかな。