無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10495日

 早朝の雨はすごかった。幅3m位の、小さな川が近くを流れているんだが、今朝はその川も、ごうごうと音をたてて流れていたらしい。昔は農業用水として利用されていて、田植えの時期がくると、近くの農家の人が来て、柵を作って水を溜めていたが、今は周辺に田んぼも無くなったので、何の役にもたっていない。おかしなことに、この川は、うちの近くで直角に曲がって流れているので、昭和30年代まで、よく、その部分から氾濫した。護岸が石で作られているので、おそらく人工的に作られた流れだろう。

 うちの家は、その川の延長線上にあるので、大雨で上流から流れてきた水は、左へ90度曲がる事無く、そのまま、まっすぐうちの方に流れてきたものだ。さらにうちの家が建っているあたりだけが、川より少し低くなっているので、周辺の3軒ほどが、年に一回は必ず床下浸水を経験していた。わしらは子供だったから、畳をあげて、床下を音をたてて流れて行くのを、喜んで見ていたが、親は大変だっただろう。これが昼間だと、流れている泥水の中が遊び場になった。当時は汲取式トイレで、溜まった糞尿が全部一緒に流れ出していたんだから、大腸菌もうようよいたことだろう。

 今は、大雨が降って、床下浸水しただけでニュースで紹介され、市役所から支援があるらしいが、当時はこれ位では、災害のなかにカウントされなかったようだ。翌日晴れていたら、両親が畳を家の前に並べて乾かしたり、床下に石灰を撒いたり、全部2人でやっていた。もともとは川の構造に問題があるんだが、大正生まれの人達には、そんなことぐずぐず言わずに、自己完結するだけの、智慧とパワーと忍耐があったんだろうな。わしなんかはこれが普通だと思っていた。

 ところが、昭和55年に、東京多摩地区H市のアパートに住んだ時、自分の庭に植えてある桜の木に虫がわいたので、市役所に連絡して駆除してもらうという話を、隣家の夫婦がしているのを聞いて、驚いたことがあった。桜は個人の所有物なんだから、常識的に考えて、市役所に連絡しても、やってくれるはずはないだろう。ところが、一週間程して、市役所からきて、消毒をしているのを見て、本当にそこまでやるのかと、更に驚いた。H市では、今でもこんなことをやっているのかどうか知らないが、税金で個人の植木の面倒までみていたら、財政が破綻するだろう。3年程しかいなかったから、その後どうなったかは知らない。

 人はそれぞれ考え方も違うし、育った環境も違うので、これが正しいということは言えないが、自分はこうありたいと思う事は自由だ。去年の4月から心に浮かんでくる事を何でも書き続けている中で、自分に関わってきた、両親、伯父、伯母、等との様々なシーンを思い出すことが多いが、客観的にみて、その存在に、揺るぎないものを感じざるを得ない。果たしてわしもこういう存在になれるんだろうか。もう遅いのかな。